EXPERIENCES

官足法は自分で自分の足をもみ、血液をきれいにし、きれいな血液を全身に循環させる血液循環療法です。
からだを元の健康な状態にリセットする過程で、一つの不調だけでなく、幾つもの不調が改善されてゆく例は枚挙に暇がありません。
病気別の体験談でもお一人お一人にいくつもの改善が見られます。

アトピー性皮膚炎・うつ・肩凝り・肝臓・心臓・腎臓・肺・目・耳・鼻・無呼吸症候群・高血圧・高コレステロール血症・糖尿病・痛風・捻挫・骨折

急性肝炎が足もみで劇的に改善

J.S.(58歳 東京都)

<足首を骨折>

私は、2019年10月に右足首の腓骨・脛骨の両側を骨折し、現在もチタンプレートやネジが装着されたままです。骨折以前は、官足法の指導員である妻に半ば強要されてウォークマットを踏み、G棒で反射区の痛いところを押し、足を揉んでいました。その甲斐あってか体調もそれなりで過ごせていました。しかし、骨折後は暫く身動きがとれず、足首・膝・股関節ともに痛みが酷く、身体の曲げ伸ばしにかなりの苦痛が伴ったこともあって、自分の生活からウォークマットとG棒が自然に遠のきました。

年齢もあるのでしょうか、骨折の治癒スピードはかなり遅めの感があり、痛みがそれなりに緩和され、足首の可動域が7割程度に戻ったのは2020年8月でした。

 

<倦怠感が続く>

丁度この頃、何となく寝ても疲れが抜けず、瞼は重く、目の下にはクマが目立ち、帰宅してからも夕食後は何も出来ず寝落ちして、気付くと朝を迎える日々が続きました。いわゆる夏バテなのかなと思いつつ、少し足を動かせることから言い訳程度にウォークマット踏みを再開しましたが、それなりの倦怠感は続いていきました。

 

<肝機能検査数値の異常>

コロナ禍のもとで職場の定期健診が例年の春先から秋口に変更され、10月9日に受けたところ、肝機能について要精密検査の通知を受け、11月12日に再検査を行いました。再検査項目は、肝細胞の障害の程度を表すとされるALT(GPT)とAST(GOT)でした。検査数値の推移(10/9→11/12)は、ALT(188→306)、AST(68→225)と、この1ヶ月でも数値の大幅な悪化が判明し、最終的に専門医の受診を指示されました。

 

<官事務所で指導を受ける>

定期健診結果と普段の顔の疲れを心配した妻の勧めもあり、11月12日に精密検査を受診したその足で官事務所を訪ね、水溜さんに状況を説明し足を診てもらいました。肝臓・腎臓の反射区は勿論のこと、足指回り、足裏、足の甲、くるぶし、足首、ふくらはぎ、太もも、股関節、坐骨に至る細かいところまで、「グリグリ棒」と「これいいわ」の使い方を指導して頂いたのは、激痛を伴う過酷な試練のひと時でもありました。プレートやネジのある箇所を避けて、とにかく足首の老廃物を無くす努力を続けるよう促されました。この夜から、ウォークマットを20分、G棒・グリグリ棒・これいいわ、を使い分けながら、40分程度痛みに耐えることを当面の日課としました。

 

<足もみ5日で検査数値が大幅改善>

5日後の11月17日と24日に病院を受診し、原因特定のための各種検査を実施。各検査数値の推移を11/12→11/17→11/24の日付順で表せば、ALT 306→69→23、AST 225→28→18。最も異常値を示した11月12日から足もみを本格化した5日間で数値は激減し、11月17日にはほぼ正常に、11月24日には正常値に戻っていました。つまり12日後には完全に正常値に戻ったことになります。そして12月1日に出た医師の診断は、B型急性肝炎を発症したものの自然軽快したというものでした。慢性肝炎が急性憎悪を繰り返している可能性もあるため、暫く経過観察を続けるとのことでした。

 

足の施術による急激な数値変化を目の当たりにし、狐につままれたような気になりますが、現実の出来事です。身体の変化は正直で、倦怠感はほぼ無くなり、靴が緩くなったと自覚していますので、足の浮腫みが取れて老廃物が徐々に流れてきたのだろうと理解しています。出張にもバックの中にG棒を忍ばせています。自分の身体にとって良い状態を継続できるよう、今後も無理をせず足のケアを続けていきたいと考えています。

                             2020年12月現在

薬漬けからの脱出  十年来の喘息治療から解放されて

M.S.(女性 73歳 東京都)

<咳ぜんそく>

幼稚園の頃から気管支が弱く、大人になってもよく風邪をひいていました。60歳頃から咳が止まらなくなり、病院の検査で肺年齢が90歳と言われて喘息治療のステロイド剤吸入もするようになりました。

 

8年ほど前からは姉に誘われて一か月に一度、岡山至先生(官足法指導員・官事務所専任講師)から官足法を教わり、足のチェックを受けるようになっていました。「痛いなー。でもやった後は気持ちがいいな。」と感じてはいましたが、喘息の治療を止めようとは、その頃は思いもしませんでした。

 

<喘息ではない!?>

ところが一昨年、足が酷くつるようになり、吸入の薬を変えてもらうと足のつりは治ったものの今度は声が出づらくなりました。

 

耳鼻科の病院でお薬手帳を見た医師に「この強いステロイドを飲まされているの?」と言われた時はショックでした。大学病院でもあらためて検査を受け「喘息ではありません。気管支炎だったんじゃないですか?」と言われました。

 

…これまで受けて来た治療、飲み続け体に溜まり続けてきた薬…、風邪の度の点滴…、それらはいったい何だったのか…。

 

<薬より足!>

別の病院のボイスケアセンターに行くと「薬の副作用だからどんどん歌いなさい。」と、声のリハビリが始まりました。2019年5月のことでした。

 

同時に「私にはもう足しかない!」と官足法に真剣に取り組むようになりました。振り返ればこれまでずっと、喉が痛くなると病院で薬をもらい、咳になると抗生物質、もっとひどくなるとステロイド…というふうに薬に頼ってきたのです。でも考えてみたら私の場合、薬が効いても治るのに一週間かかります。足を自分でもんでも治るまでだいたい一週間です。同じことなら飲まないで治した方がいい!

 

<「ながら」で足もみ>

何が何でも喉が痛くならないように、特に親指はしっかりともむようになりました。岡山先生にチェックしてもらって痛いところが見つかると「ここを克服したら良くなるのか。よし、やってやろう!」と思います。特に痛いところは気が紛れるようにゲームをしながら、山場の難しいところで「コンチキショウ!コンチキショウ!」(笑)と強くもんでいます。その甲斐あって2019年8月ごろからは治療のために病院へ行くことは無くなり、薬も飲んでいません。

 

今の心配はインフルエンザやコロナなどの感染症です。薬を止めると決めたものの不安もあり、悩んだ末、先日インフルエンザの予防接種を受けました。これで少し安心した部分もあります。悩みながらも、足をもんで元気でいることを喜んでいます。

 

乳がんの抗がん剤治療を官足法で楽に

E.T. 45歳女性 (東京都)

<海外で発症>

10年間外国に暮らし、ある時いつもより胸が張っていてしこりがあるのを見つけました。病院は無料ですが予約待ちで、ようやく受診すると「大丈夫だけれど一応もっと大きな病院で検査してもらって下さい。」と言われました。次の病院でもはっきりとした診断が出ないまま治療の目途すら立ちません。最初の違和感からすでに2ヶ月が経とうとしていました。

<ステージ2>

2017年12月、日本で検査と治療を受けるべく帰国。初めてステージ2の乳がんという診断が下りました。翌1月には抗がん剤治療が始まり、7月の手術で乳房の全摘という方針が決まりました。少しずつがんは小さくなっていましたが、抗がん剤の副作用も辛く、自分で出来ることはないだろうかとインターネットで調べるうち官足法を見つけました。

<全摘予定が部分切除に>

4月、はじめて官事務所で官足法を体験しました。ものすごく痛いけれど、終わった後の爽快感にハマりました。抗がん剤治療をしている時の、全身がグターっとするだるさは官足法によって軽減し、自然と動けるようになりました。「これをやっていれば元気になれる!」そう思うと前向きな気持ちになります。毎日家で一時間ほど足をもみ、一ヶ月に一度官事務所でチェックを受け、手術前は一週間に一度、官足法指導員の方に出張してもらいアドバイスを受けながら手術の日を迎えました。右胸部全摘という予定も、がんが小さくなっていて、部分切除になりました。

<暮らしの中で>

今では官足法は生活の一部です。普段は夜、お風呂の後に30分ウォークマットⅡを踏み、ふくらはぎや太ももは「これいいわ」でもむなど、なるべく脚全体をもむようにしています。朝、身体がだるい時もウォークマットを10分でも踏めばだるさが無くなり、踏めない時は足がムズムズしてきます。これまで一日だけ、疲れて踏まずに寝たことがありましたが、たとえ5分でもウォークマットを踏んだ方がよく眠れることがわかりました。いつの間にか「続けなきゃ」ではなく、足が「やりたい」と欲するようになっていました。二度と再発しないように、これからも一生官足法を続けて元気な身体を維持してゆきたいと思っています。

冷えと向き合う=自分と向き合う、そして小さな命を授かる

永山渚 36歳(長野県)

■蕁麻疹

官足法をまだ知らない頃、私は蕁麻疹が時々でるという症状に悩まされていました。医者へも行っていて、「ストレスからとか、結局原因不明です」との診断で薬を処方されていました。私は大の薬嫌い(笑)でも仕事にも支障が出てしまうから薬は飲んでいました。別に大きく環境が変わったわけでもなく、ストレスって言われてもよくわからない、と感じていました。

■官足法を知る

そんな時に!偶然官足法指導員のアオキタカエさんに出会う奇跡がありました。官足法なんて全く知らなかったけど、今思えば、出会うように出来ていたとしか思えないのです。タカエさんに体調の話をすると「腎臓が弱っているのかもね」と。腎臓について少し教えてもらうと、「そっかー、膀胱炎もなりやすいし、なるほど腎臓かぁ」とその時は細かい事はわからないなりに、漠然と理解した感じでした。

■冷え症、だけど?

おまけに、その時、過去にないほどの冷え性でした。「私も冷え性だよー」なんて女性は女性同士共感し合っちゃうので、まぁ冷え性でも別に普通か、と思っていました。みんなあるからとか、年齢がとか。冷えは良くないとは知ってはいましたが、「多少運動もしてるしな〜、それでもだめなら靴下いっぱい履くとかぐらいしかできないから、仕方ない」と思っていました。そこまで重大に考えていなかったということです。

でも、コイツは思っている以上に大変な事なんだと官足法を知る事で気付かされていったのです。

■無理をしていたことに気付く

私は体の症状をそれぞれ単体で考えていました。「蕁麻疹が出ているだけ」「冷え性なだけ」のような。なぜかと言うと、基本的に体が強いと思い込んでいたから。今思えばただ、気持ちだけで乗り越えていたんだなぁとわかります。それが生活面、仕事面では「ある意味」良く働いていたとも言えます。「体がだるくて」「発熱して」仕事に行かれないなんてことはほぼありませんでしたから。でもそれは無理な精神力で武装していただけで、体は実は蝕まれていたんだと、これも後々納得していくのです。

どんだけ精神力強いの?という感じですが、これはさっきも言った通り「無理をしていた精神力」なだけ。私が生きてくる中で勝手に培われてしまった癖だと、それもタカエさんが気づかせてくれました。マイナス思考なもので、もっと頑張らないとダメとか、いつも考えて生きてきたので、ね(汗)

そんな私なので、今考えれば神経の通りも悪くなっていたのかも?とも思えます。体が麻痺している感じで、本来なら頭痛が起きていたり、もっと感じられる不調があったはずですが、正しく神経が働いていなくて、不調のはずなのに「不調を感じない」という負の連鎖に迷い込んでいたのかなーと。

いつも頑張りすぎる、どうでもいい事まで考えすぎる人は知らないうちにこうなっている事も多いと思います。

タカエさんに足を見てもらったときは「足硬いね〜、頭痛あるでしょ?膝痛いでしょ?」等々たくさん言われましたが私的には「全然ないなー」という状態でした。のちに腰痛や頭痛の症状が出て来た時に、全く感じていなかったんだなと気づかされました。結局私は「原因がどこ」という事ではなく、これまでの蓄積によって体が弱っていたようです。不調を感じていない、すごく良くない状態。そしてどんどん足に汚れが溜まっていったのだと思います。

■冷えは万病の元!

蕁麻疹で悩んでいた頃の私に今の私は「腎臓の反射区だけ揉めばいいよ」とは言わないと思います。もちろん重点的にというのはあると思うけど、結局体は全部つながっているし、臓器も相互作用し合って、影響し合っているので、ある一部だけもんだところで、他の反射区が詰まっていたら流れないですよね。官先生の「くまなくまんべんなく揉む」とはこういう事なんだなぁと実感しました。

結局今現在冷えているという事は、元気の源の血液がちゃんと巡っていないわけで、私の体は腎臓だけ弱っていたわけではなくて、体中の色々な所が弱っていたのだと思います。冷えを甘くみちゃいけないのは、全ての病気の始まりだという事だからと強く知る事ができました。

■官足法を続けて妊娠

そんな事で、元気でいたいし、薬に頼らずに過ごしたいという気持ちから、これまで官足法を続けてきました。私の蕁麻疹もわりとすぐ引き、もうないです。今では足を触る事が当たり前になっているので、棒で揉んだり、台所にマットを置いて家事しながら踏んでいる日々です。

その後結婚し、このたび妊娠もしました。あまりの冷え性に子どもを授かる事も心配していましたが、官足法を続けていたおかげだと思います。

お腹が大きくなると手で揉むのも大変なので「これいいわ」をゲットし、普段から使用していますが、むくみを感じた時もとても重宝しています。

■官足法で成長したい

とは言え、まだまだ課題だらけの足なので、タカエさんに教えてもらったり、自分の足と向き合ったり、グループレッスンに参加しながら、官足法を通じて出会うみなさんと共に成長していきたいです!元気が一番です!これからもずっと健康でいられる様に自分の体をよく知っていくために官足法を続けていきたいと思います。

腺がんの影が消えた

官足法指導員 菅原喜代美(東京都)

夫に誘われて始めたゴルフは、今では最も好きなスポーツの一つになりました。

一昨年のことになりますが、いつものように夫とゴルフに出かけた時のこと、振り抜くときに今までに感じたことの無い疼きが肋骨に走りました。骨にひびが入ったか、それとも折れているのか、と不安になり近くのクリニックでCTを撮りました。すると「骨は何ともありません。でも肺に何か居ますよ。」とのこと。そこから関東中央病院を紹介されました。ここでのCTでも肺に影がありました。診断は腺がん0期。この時の血液検査では白血球数が2700だったのを覚えています。基準値は8000とのことでしたから随分少なかったのです。白血球の成分検査では好中球の値が高く、その分がんと闘うリンパ球の値が少なくなっていたのも、岡山先生から教えていただいていたがんの人にありがちな血液の典型でした。

若い時から会社勤めの仕事の傍ら、ヨガのインストラクターを始め様々なことに挑戦し、活動的に過ごして来ましたが、生まれつきの心臓疾患があり、腎臓からきた尿道結石、逆流性食道炎、子宮筋腫など入院、手術の経験には事欠きません。が、心臓の大手術のあと官足法指導員になって、すぐに官事務所で週二、三回働き始めました。事務所で教えてもらえることもあって、一年後には体温が一度上がっていました。官事務所での仕事の他、ヨガ、官足法などいくつも講師として教室を掛け持ちしながら元気に過ごしていましたが、この時は引っ越しも重なり、疲労と様々なストレスが重なって、足を揉めない日々が続いていました。ですから、腺がんと言われた時もあまり驚きませんでした。そしてむしろ官足法で治そうと闘志が湧いてきました。

0期とはいえ、胸は相変わらず痛かったので、この痛みを取ろうと足もみに取り組みました。それまで官事務所で、足と脚部全部を隈なくもむよう口が酸っぱくなるほど言われていたのに指の揉み方が足りなかったことにも気付かされました。

水溜所長が“ホラ”と言って軽くつまんだ爪先の飛び上がるほどの痛さ。岡山先生に押していただいた指の付根とその斜め45度の痛かったこと!それまでいつも足は冷えていて絹の冷え取り靴下を何重にも穿いていましたが、指をちゃんと揉めばカーッと温かくなることに、この腺がんのお陰で初めて気づきました。

三か月に一度の通院で、二度目の診察は一度目から変化なし。けれど、三度目からは行く度に肺の影が薄くなっていき、五度目には影は消えていました。

今年は春からのステイホームで教室の多くが休みになり、その分昼の間じっくり時間をかけて足を揉むことができました。これまでは忙しく予定をこなす日々でしたが、はじめてゆったりとした時間を過ごし、時間があるっていいものだな、と思えるようになりました。この体験が、これからの人生をまた違ったものにしてくれるのでは、と思っています。

近眼・便秘を克服 尋常性乾癬と難聴が改善

Y.K.69歳 千葉県

<わかっていないことに気付く>

今年1月半ば、知り合いが俯いてトボトボと歩いているのを見かけました。「どうされましたか?」と声を掛けると「目が、片方見えなくなると病院で言われたの」と仰います。力づけて差し上げたいのに何も言えませんでした。それっきりお会いすることもないその方を思うと後悔の念が湧き起こりました。

そのころはもう一年半も官足法の教室に通っていたのです。官足法指導員の篠原伴子先生が私の顔の湿疹に気付いて声を掛けて下さったのがきっかけで、月に一度通うようになったものの、いつも教室のある日の直前だけちょこっと足を揉む程度。絶望しているその方に官足法のことを話して差し上げることが出来ませんでした。そんな自分が悔しくて、一念発起「官足法指導員になる!」と決めました。

<好転反応を乗り越える>

そうと決まればこれまでのようにサボっているわけにはいきません。ウォークマットⅡ、グリグリ棒とG棒で足と脚、全部を一時間半かけてもみ上げます。痛いけれど仕方ありません。視力が左右とも0.1の私。2週間もすると目に変化が現れました。右目の目尻が切れたり、目やにが出たり、赤くなったり…。そんなことが1ヶ月以上続いてだんだん良くなったと思ったら、今度は左目に来ました。朝目覚めると目が開かないほど目やにでびっしり、かと思うと目の下が赤くなったり。3、4日するとそれが取れて、の繰り返しです。目の好転反応が始まって3ケ月ほどした時、「メガネの度数を変えたっけ?」と思うほどはっきり見え、時々眼鏡を忘れて出かけるほどになりました。鏡を見ると目がパチッとして白眼の色がきれいになり白がハッキリしてきたように思います。

次に変化が現れたのはお通じでした。ウォークマットⅡを毎日40~45分踏んでいるうち、踏むとおならが出るようになり、腸が動き出したことを感じました。三日に一度だった便通が毎朝になり、便の状態も良くなりました。

<足と脚部を全部もむ>

ウォークマットを踏み始めるとやる気が出て来ます。教えてもらった通りやらないと気が済まず、その通りしっかりやるとあっという間に40分くらい経ってしまいます。朝起きるのも楽になりました。踏んでも、踏んでも、痛いし「こんなに痛いの私だけ?」と思うこともありますが、次々と起こる変化が楽しみで続いています。もちろんウォークマットだけでなく、上の脚部もやっています。ちゃんとかき上げてやらないと却って脚がだるくなってしまうので。

<尋常性乾癬と難聴>

今一番解決したいのは20歳で発症した尋常性乾癬と、耳に出来る瘡蓋で聴こえにくくなっているらしい難聴です。以前は3、4割くらいしか聴こえなかったのが、今は6、7割聴こえるようになりました。20歳からずっと皮膚科に通い、ステロイドを頭にも振りかけるほど、文字通り浴びるように使っていました。30年使い続けて、治らないなぁと思っていた頃、知り合いの看護師さんに使い続ける危険性を教えて貰い、50歳できっぱり使用を止めました。反動で顔が真ん丸に腫れ上がり、ボコボコになりましたが、自然治癒力に任せようと決めました。顔や全身のボコボコは一年ほど続いてだんだん治り、ある日また出る、ということを繰り返していました。今も膝や肘に出ていて、引っ掻くので血が出ています。

<皮膚が綺麗になってきた>

でも以前の私を知る人は「最近皮膚がきれいになったね。」と言ってくれます。身体の赤みが全体に薄くなっています。乾癬は皮膚を傷つけるとまたそこに瘡蓋のように盛り上がるのですが、これまでずっと消えることのなかったおへその中の瘡蓋がはじめて取れて、つるっときれいになりかかっていることに気付きました。これからどう変わっていくかを楽しみに、そしていつか困っている人に会ったら官足法のことを話して力づけて上げられる自分になるのを楽しみに、毎日続けていこうと思っています。

骨盤骨折からの回復

                             官足法指導員 篠原啓太(49歳 茨城県)

2020年1/5 自転車で転倒、入院

救急車で病院に搬送、骨盤骨折と診断され即入院となりました。

レントゲンとCT撮影の結果、左側寛骨臼で広範囲にわたる亀裂骨折のほか、恥骨と坐骨の骨折が判明。骨折による骨全体のズレはギリギリ許容範囲で、手術はせず左下半身を安静にして様子見、とのこと。血管損傷による出血性ショックの危険があり、骨盤が広範囲に骨折しているので、安定せず徐々にズレが大きくなるリスクもありました。

入院が決まると、妻が家から荷物を持ってきてくれました。そして、炎症を抑えるアロママッサージをしてもらい人心地ついたところで、ふと妻の手を見るとなんとグリグリ棒が…。同じ官足法指導員である妻は「足揉みしよう!」と言ってくれました。私は骨折の痛みで官足法実践にまで思いは至らず、でもその一言に「ぜひ頼む」と。二人で「股関節だ、副甲状腺だ、脳下垂体だ、…」と言いながらグリグリ始めた初日でした。

 

1/6 リハビリ開始

理学療法士さんとリハビリ開始。まだ先の予定は立てられず「歩けるようになること(時期未定)」というホワ~っとした目標を立てました。

 

1/9 痛み止めが不要に

当初心配された出血性ショックはなく、痛みも急ピッチに引き始め3日目の朝からは痛み止めの薬も不要になりました。二回目のレントゲン撮影で、骨盤のズレも見られませんでした。

今考えるとこの時期は大事な時期で、直ぐに始めた足揉みの効果は大きかったと思います。受傷で痛む患部は、股関節等の反射区をグィっと押されるとビリっと痛むわけですが、痛みに痛みで対抗するというか、何か細胞が刺激され修復されるような不思議な感覚だったことを覚えています。回復への期待を体で感じることができた時期でした。

 

1/12 様々な姿勢をとれるようになり自分で足揉みが可能となる

 

1/19 車椅子に着座成功

 

1/22 車椅子で移動しトイレで用足しに成功

ベッド上である程度の姿勢が取れるようになり、自分で足を揉めるようになりました。メインは“これいいわ”を使用。直接手の届くところは官足棒Bを削った平棒とグリグリ棒で。一日3回、トータル5~6時間程。食事・睡眠・検査診察及び休憩(読書等)を除くとあとは筋トレか足揉みをしていました。

部位的には股関節・胸椎/腰椎・肩/肘/膝・肝・腎・副腎・副甲状腺と足の反射区を揉みまくったのですが、消化器系全般も結構大事でした。というのも、この時期の悩みはトイレです。寝たきりで自分で用足しが出来ないと肉体精神両面から便秘になる訳ですが、なかなか辛いものです。(もよおす度に看護師さんを呼んで姿勢を整えて準備して…、でも出ない、を繰り返すのはやはり気が滅入る)でも私は足揉みを徹底したせいか、お通じに関してはほぼ順調でした。長い入院生活にとって大事なことです。

この時期は、身体を動かすと姿勢によっては激痛が走るのですが、足もみの範囲を広げる、車いすに座る、トイレに行く等、目標に向けチャレンジを繰り返した時期で、チャレンジ、痛い、失敗を繰り返しながら、徐々に目標をクリアしていきます。自分でトイレに行くことが出来た時は本当に嬉しかったです。

 

1/31 松葉杖で片足歩行開始。

 

2/13 左足を地面に着ける。1/3荷重許可(=体重の1/3まで負荷OK)

 

2/15 退院。

<人に支えられ、そして官足法を信じる>

受傷後一ヵ月が経過し、手術不要がほぼ確定し、ひと安心。骨は通常3か月で修復するそうですが、受傷部位や範囲から判断が難しかったようで、ドクターはまだ回復見込みを示してくれません。そんな中、担当看護師さんや若い理学療法士さんの明るさに元気づけられ、ひたすら回復を信じリハビリと足揉みに精を出した時期です。官足法の威力を十分理解していたので、とにかく不思議なくらい足揉みに集中することができました。

 

2/15~3/31

定期的に通院&リハビリ指導を受けながら、自宅でリハビリの日々。

松葉杖を使いながら、ウォークマットも開始。G棒、握り棒等、家にあるアイテムを総動員して足をもむ。歩行練習、筋トレ、足揉みをセットで繰り返していました。

身体への負荷は1/2荷重、3/4荷重、全荷重 とステップアップし職場復帰に備えました。

<身体と会話し自分を信じる>

徐々に回復していたとはいえ、本当に歩けるようになるのか?という思いが頭をよぎります。絶対大丈夫、と誰も言わないし、わからない訳ですから。でも自分の身体は自分が一番よくわかる、人に安心させてもらうのではない、自分の身体と対話して自分の身体を信じるのはあくまで自分自身である、このことを再認識した時期でした。

(まさに官足法で学んでいたことで、自然とこうした考え方に至ることが出来ました)。さて、足の状態ですが入院中は寝た状態がほとんどの生活なので、足もみや筋トレをしていたとはいえ、足はすっかり変貌していました。足首から下は両足とも、筋肉が落ち非常に薄くなっていました。足裏先端部(反射区で言うと僧帽筋のあたり)は非常に硬くなりカチカチで反応も鈍い。脚部については、動かせない左足は痩せて固くなり、一方で右足は筋トレと足揉みをしっかりできたからか以前に近い状態でした。

さてどうなるか、とウォークマットを始めて3~4日、足裏先端部の硬さがみるみるうちに取れ、柔らかくなっていきました。更に歩行を始めると薄くなった足の甲が徐々に厚くなっていきます。同時に足裏全体の柔らかみが増して、手入れをしなかった畑の土に肥料をやり耕してフカフカになっていく、そんな感じでした。

この時期はウォークマットの効果を改めて実感、これを踏めるのと踏めないのでは大きな違いですね。松葉杖で負荷を調整しつつ踏みましたがそれでも効果十分でした。

 

4/1~6/17(現在)職場復帰

職場復帰を果たしました。GW明けまで車通勤&在宅勤務となり、今はほぼ毎日電車通勤となりましたが、無事通っています。

GW前後には10km歩行、里山登山、家庭菜園での農作業もやりました。

今後は以前続けていた地元のマラソン大会にもう一度出ることを目標に、トレーニングを続けたいと思います。

 

【最後に】部分ではなく全体を

患部だけではなく、身体全体を整えないとリハビリは続けられませんでした。患部をかばおうと右足や右の腰に負担がかかり、歩行訓練では杖を突く腕や手のひらが痛くなります。

“そこ”だけを見ない、“そこ”だけを治そうとしない、これも官足法の教えでした。

足を揉んで、血流が良くなって、各細胞が頑張って治ろうとしている。患部だけではなく、身体全体を整えないとリハビリは続けられない、身体と対話し続けた日々でした。

今、周囲の人に支えられここまで回復したことに感謝する日々です。

そして、官足法に出逢っていたおかげで、スムーズに本格的なリハビリに移行でき、ひたむきに回復を信じることが出来たと思っています。

 

最後にもう一度

“足揉みをしていて良かった、官足法に出逢っていて良かった。

生理痛が無くなり、バセドウ病も克服。 家族の脳梗塞も予後良好

                            官足法指導員 あつこ
私はバセドウ病と診断されて十数年投薬治療を継続しましたが完治せず、40代も半ば近くになり主治医から「妊娠のご希望が無くなりましたら、手術を…。」と勧められました。悩んだ結果、自分で治す方法がないかと探しました。

そんなとき官足法に出会いました。
ウォークマットⅡ(以下マット)に素足で乗った時の強烈な痛みと、数秒しか乗れない悔しさで泣きながら踏んだことは昨日のことのように思い出します。それでも朝晩20分はマットを踏むと決意し頑張ると、3日目に発熱し寝込みました。書籍で知った「好転反応」だと思い、身体は辛いにも拘らず、自分でバセドウ病を治せるかもしれないと心は元気でした。
マットを素足で普通に20分踏めるようになるまでには、尿が濃くなったり、多量の便が出たり、発疹等の好転反応も数々経験しました。最初に改善?効果?を実感したのが生理痛でした。毎回鎮痛剤が欠かせなかったのに、痛みがほとんど無く、少し痛くても反射区を揉むと痛みが緩和されるようになりました。
その後、バセドウ病の薬は少しずつ減らし、3か月で完全に止めました。半年後の検査では、投薬治療で得られる結果と同じく正常値を維持しており、現在は、年に1度の経過観察の為に通院をしています。
私が楽しく官足法を実践し元気になる姿を見た家族も官足法を始め、嬉しいことに少しずつその輪が広がりました。家族の勧めもあって指導員になりました。

指導員の活動も少し慣れてきた昨年、父が脳梗塞で倒れました。数年前から何度か軽度の脳梗塞を発症し、「次倒れたら命は無い」と主治医から通告され、日頃から注意していましたが、散歩中に再発し意識を失いました。幸いにも色んな方々のお陰で一命は取り止めました。母は、グリグリ棒をカバンに忍ばせ、毎日病院で父の足を揉み、加えて病院近くの指導員(人見奈々さん)に施術もお願いしました。その甲斐あって79歳の年齢と脳の画像からは信じられないくらいの回復をみせ、少し麻痺は残りましたが、現在は何とか母と二人暮らしができています。毎朝マットを踏むことが転倒予防に繋がっています。マットを踏まない日は転ぶと母は言っています。
【写真左:父の脳梗塞時の足親指】【写真右:現在の父の足(右親指は左脳の反射区)】

20日間の足もみで、乳がん検診の影が消えた

荒原文 東京都

3月、婦人科検診に行った。毎日の足もみとヨガを欠かさないので自信はあったが、乳がん検診だけは5年も受けていなかったので、そろそろと思っていたのだ。私は母や叔母が乳がんに罹患しているし、友人にも多いので気になっていたということもある。自分ががんになるとしたら乳がんだろう…。心のどこかでそう思っていた。婦人科検診だったので子宮もチェックするのであるが、子宮筋腫の数が増えていて、一つの筋腫は4cm以上に成長していると言われた。去年は2cm弱で手術では取れないサイズと言われたのに、今回は妊娠を考えているなら摘出した方がいいと勧められ軽いショックを受けた。と、同時に…足もみで唯一痛みがとれないかかとに手を当てて溜息をついた。

続く乳がん検診。マンモと触診は順調に終わったが、超音波で技師の手が止まり、女医がやってきて、小声で何か話している。その時は何も言われなかったが、会計して帰るはずが、相談室という所に呼ばれ、先生から右の脇の下に2cm大の影があり、すぐに精密検査をした方がいいと告げられた。「がんの可能性もある…」この言葉に誰もがお先真っ暗になるであろう。しかし私はもし自分ががんになったら徹底的に足もみをして治してみせると、普段からイメトレ(!)をしていた。だから落ち込むことも、迷うこともなく官事務所に連絡し、翌日足をチェックしてもらうアポを取った。所長はその日のチェックで「乳がんは大丈夫じゃないかな。でも子宮は問題あるね。子宮と乳房はつながっているから、子宮が問題で今回の結果になっている可能性があるよ」と言われた。この言葉に大きく頷いた。もしこのような知識がなかったら、私でさえ慌てて乳房を切っていたかもしれない。危険因子は何でも取り除こうというのが最近の医学の風潮だ。それでも問題の根源が子宮にあれば、がんは再発するのではないか。これが西洋医学。まさに木を見て森を見ず。

私は「根治」を目標に、その日から1日1時間足もみを真剣に行った。精密検査までは20日以上あった。「そこまでに影を消してみせる。人体実験だ!」約20日間、家族の心配は異常だったが私は黙々と仕事に励み、足もみを続けた。自分の足を見れば病気でないという自信が持てて落ち着いていられたのだ。そして検査当日。その日は「細胞検査」をする予定だった。そこで悪性と診断されれば一週間後には手術だと説明を受けていた。ところが…影がない!先生も看護師さんも慌てていた。私としては、縮小しているか、良性であれば優秀と思っていたのに、まさか完全消失とは!「こんなことってあるのですか?」私は医師に説明を求めたが「う~ん、乳腺細胞が何らかの変化を起こしたとしか言いようがありません…」と黙ってしまった。結局、細胞検査はできず、わずか1200円の診察料で帰された。

足もみの効果は病気を治す効果だけではない。目には見えない体の内側の様子を足から感じることができる。少なくとも私は足もみを続けてその力を得ている。病気と診断されても自分では違うと思えたこと。足を見てネガティブにならなかったこと。そういったすべてが、影を消すというミラクルにつながったのではないか。子宮の反射区もほとんど痛くない。子宮筋腫も消えているかもしれない。

官足法ニュース2014年5月号掲載分より(官足法ニュースは官事務所より毎月発行しています。)

膝の「機能性神経障害」を克服 突然歩けなくなった姪っ子

  官足法指導員 T.M.
 2月上旬、姉から「娘が歩けなくなった。足もみで何とかならないか。」という相談の電話がありました。「病院へ行って」と答えようと思ったのですが、既に受診した後でした。
 経緯を聞くと、歩けなくなる数日前に高校の部活の競技かるた(百人一首)の練習中に左膝が「プチッ」と鳴ったそうです。そして数日後、授業中に突然左膝に力が入らなくなって倒れたとのこと。その日のうちに整形外科を受診しMRI検査を受けたそうですが、原因はわからず、精神的な原因が考えられると精神科の受診を勧められたそうです。同じ日に整骨院も受診したそうですが原因がわからなくては対応できないと言われたそうです。精神科もその日のうちに受診。「機能性神経障害」と診断され定期的にカウンセリングを受けるよう勧められたそうです。それから数日、学校では車椅子、それ以外では松葉杖で暮らしていて、官足法で何とかならないかとの相談でした。
 足もみの約束の日までにと「機能性神経障害」についてインターネットで調べました。すると症状の一つに「腓骨神経の麻痺」というのを見つけました。百人一首の姿勢は正座で膝を長時間圧迫します。これらのことから自律神経と膝からのアプローチで何とかならないかと推測しました。浜崎ふく子先生にもアドバイスを頂き、自律神経から歩けなくなる例や重点反射区などを教わりました。自分の推測と重なる部分が多かったのですが自信はなく、いずれ浜崎先生に見てもらおうという気持ちで臨みました。
 実際に足を見せてもらうと、動かない左足は力が入らないため、膝裏に手を入れて持ち上げてもぷらーんと垂れています。ただ、触れた感覚はあり、足をもむと痛みを感じていて完全な麻痺ではありませんでした。そこで先ずプチッと音が鳴ったという左足の膝の反射区を揉んでみました。硬くねっとりした感触で、とても痛がりました。少しもんで自分で膝を動かしてもらったところ、少しだけ膝が動きました。そこで更に強く、深くもみ込んでいくと、反射区が柔らかくなってきて、更に膝が動きました。「もしかして、立てる?」と立ち上がるよう促すと、立てました!歩けました!
 足をもんだ私自身がびっくりしたのですが、膝の反射区を5分ほどもんだだけでした。これだけではまた膝の反射区に老廃物が戻ってきて症状が逆戻りすると思い、両足裏から両足の膝裏までの反射区を一通りもんで、最後にもう一度膝の反射区をもみ込み、「階段の上り下りできる?」と促すとスイスイと上り下りできました。
 その場にいた全員がアルプスの少女ハイジの「クララが立ったぁ!」の気分でした。母娘は「あの松葉杖と車椅子の日々は何だったの?今度病院や学校に行ったら何て話せばいいの?」と、嬉しさと戸惑いが同時にやってきた様子でした。
 百人一首の姿勢から膝の血管や神経が圧迫されての症状だったのではないかと思いました。自律神経の影響もあったのだと思います。副腎の反射区をもんだ時にはとても痛がり、どす黒いあざもできました。
 その後、自分で足をもみながら普通に暮らしていますが、百人一首で膝をつく姿勢が長く続いたり、疲れが溜まると膝の反射区に老廃物が溜まるようで、時々膝が痛くなったり歩けなくなった時の前兆のような感覚になって連絡が来ます。お風呂で足が震え出し止まらなくなったと電話があったこともあり、電話越しにもみ方を姉に伝え、強く深くもむようにしてもらって震えが収まったこともありました。このようなことがあった後に足もみに行くと、決まって膝の反射区が硬くなっています。
 姪っ子の今年最大の目標であった7月の競技かるたの全国大会前に浜崎先生にみていただき、私には断言できなかった「全国大会に出ても大丈夫!」の声もかけて頂き、スッキリした気持ちで大会にも参加することが出来ました。
 今は自分で対処する方法を覚えてもらうことを目指し、症状の気配が出てきたときに時々足もみをさせてもらっています。これから先の人生の中でもこの症状の前兆を感じることがあると思います。そんな時に「大丈夫、自分で足をもめば治る!」という自信を持って自分の体と向き合っていってもらいたい。そういう願いを込めて伝えていきたいと思います。

(※2019年9月官足法ニュース掲載分)

うつ病からの回復

T.M.(写真は2019年現在)

4年前の6月、急に耳が遠くなり、目の前が白くなり視界が狭くなって、職場の朝礼中に倒れました。軽い脳梗塞の疑いがあると言われ、大きな病院で検査を受けましたが、脳に異常はありませんでした。

その後、発熱や咳・悪寒などの症状が出ました。また、人混みで、人の顔と向かい合うことが辛くなりました。そのような場所のザワザワとした音が辛く、次第に音を避けるようになりました。やがて、「笑わなくなった」「表情がない」などと指摘されるようになり、不眠や食欲不振などの症状も出てきました。非常に抵抗がありましたが、心療内科に行くと“うつ病”と診断され、睡眠導入剤・抗うつ薬・漢方薬が処方されました。

約1か月休職し、一度は復職しましたが、症状が悪化して再びドクター・ストップがかかりました。「この休職が明けた時、完治していなかったら辞める。」という条件で再度休職しました。

■官足法との出会い

休職中、姉の紹介で官足法指導員の浜崎ふく子先生に出会い、官足法を知りました。最初はどこを揉まれても痛く、叫び続けていたことを覚えています。心臓の反射区を揉まれれば動悸がして、副腎の反射区を揉まれると治まりました。肝臓の反射区を揉まれると足の裏が黄色くなりました。

私の両足小指の外側には、ウオノメがありました。このウオノメが目眩の原因で、「今から取る」と言われ、耳を疑いました。ウオノメを外側から中心に向かって揉まれると、かなりの痛みがあり、芯の部分が落ちました。その時に、メニエール病の可能性を指摘されました。指導後、足が腫れたり、うっ血したりしましたが、スッキリした気持ちになれたので、自分でも足もみを始めました。

それ以来、浜崎先生のアドバイスの下、薬をほんの僅かずつ様子を見ながら減らして足を揉みました。もらった薬は溜めておきました。薬を止めても症状が悪くなることはなかったので、薬を止めたまま足を揉み続けました。

そして1か月に一度、浜崎先生に指導を受け続けました。2度目の指導の時、親指を揉まれると右前頭部がブルブルブルッ!と震えたように感じ、1度目よりもスッキリした気持ちになりました。

この頃から少しずつ、人の集まるお店等に、自分から「人混みがだめなら帰ればいいから行ってみよう。」と前向きに思えるようになりました。そして、足もみを続けるうちに人混みに耐えられる時間は長くなっていきました。

驚きの反応が

休職して3か月が過ぎたとき、病院で“完治”という診断は得られず、退職しました。

その後、咳や鼻水がひどくなりました。浜崎先生から「身体が元に戻る過程で過去に患った症状が表に出てくることがある。」と聞いていたので、足揉みを続けました。

それから半年ほど経った頃、夜中にひどく咳き込み、鼻も詰まって眠れない日がありました。鼻をかむと、右の頬の中で何かが動きました。次の瞬間、ティッシュにずしりと何かが出て来ました。そこには、黄色い塊に血管のようなものがついている不思議な物体がありました。親指の爪よりもやや大きいくらいの大きさでした。その後鼻づまりが止まり、やがて咳も出なくなりました。

ボランティアで気持ちが前向きに

官足法を始めてから10ケ月ほど経った頃、農家でのボランティアを始めました。そこで、働く自信と感謝される喜びを感じました。このことが気持ちを大きく前向きにしてくれました。

ボランティアを始めて半年過ぎた頃、病院でも就労許可が出ました。このとき、溜めていた薬の重さを量ると5kgもありました。足もみを始めなければ、この5kgの薬が体の中に取り込まれていたのだと思うとゾッとしました。

これまで私は、グリグリ棒とウォークマットⅡを主に使って足を揉んできました。療養中、仕事を辞めたことで、足を揉む時間がたくさんありました。浜崎先生の指導の下、足全体を揉むよう心掛けました。どうしても時間がないときには腎臓の反射区と小指を中心に揉みました。テレビを観るとき等、ながら作業で行っていたことが長続きした理由かもしれません。

自分ではなかなかうまく揉めない場所は、浜崎先生に揉み方を教わりながら揉んでいます。もう病院へは通っていません。今まで痛みを伴う官足法を続けられたのは、足もみによる体の回復もありますが、先生と話すことで明るい気持ちになれたことがとても大きいと思います。いつの間にか先生に会えることが楽しみになっていました。

周りのみなさんに感謝

“うつ病”と診断されてからいつの間にか3年が経ちました。いつも傍らで支えてくれた妻、常に応援してくれた両親、浜崎先生を紹介してくれた姉に、本当に感謝しています。

そして、官足法を教えて下さった浜崎先生と出会え、“うつ病”と知りながらボランティアとして受け入れて下さった農家の方々と出会えたことにも有難い気持ちでいっぱいです。

これからも足もみを続けて、更に健康になりたいと思います。目指すのはまだ生まれて7ケ月の娘の足です。まだ靴を履いたことがない、小さいけれど、常に温かく力強い、きれいな足です。

(2011年7月官足法ニュース掲載分 次回の体験談では8年後のこの方の活躍をご覧ください。)

尿管結石の石が小さくなった!

                                                                                           長野県 H
昨年末に尿管結石を再発し、痛みから救急車を呼び病院に担ぎ込まれる経験をしました。
その時担当医から「まだ石がありますね〜。」と言われ、知人の紹介で栗ヶ丘クリニックを受診致しました。そこで官足法と出会いました。半端なく痛いけれどこれは良い!と感じ、それから官先生の本を読みながら自分の足を揉み始めました。長野講習会にも参加し、その後も足を揉んでいます。
最近人間ドックを受けました。結果、気になっていた石は、左側の腎臓に、もし落ちても問題のない小さな石があるのみとなっていました。先生の説明が一通り終わった後、「あの〜、実は年末に尿管結石でのたうち回ったのですが…」と話しましたら、「ウソ〜!」と超音波エコーの画像を何度も見返していました。

その他にも、体調の改善が見られるため、今後も自分とかみさんの足を揉み続けたいと思います。
これからも皆様の官足法普及に向けた取り組みを応援いたします。

2019年7月官足法ニュース掲載分

官足法で乾癬を克服!生理痛が無くなり子宮筋腫が小さく!疲れにくい体になった!

官足法指導員 赤松美佐(香川県)
私が官足法に出会ったのは約7年前のこと。
小さい頃から偏平足で疲れやすく、中学生くらいには不整脈や洞性徐脈でよく検査にひっかかるようになり、24時間心電図検査などもしましたが理由は分からず…。20代では生理痛がひどくなり、30歳くらいで子宮筋腫6㎝、3㎝、1㎝が見つかるとともに子宮がん検診にひっかかり手術も進められました。
そして同じ頃、皮膚の状態もおかしくなり病院でも原因がわからず、いくつ目かの病院で尋常性乾癬と診断されました。尋常性乾癬とは、赤い斑点のようなものができ、そこの皮膚が30倍くらいの速さで再生するので、毎日ウロコのような角質ができポロポロむけフローリングが真っ白になるほど。かゆみはアトピーに比べると少ないらしいのですが、夜中にかきむしって手やTシャツや下着が血だらけになることも。見た目もひどい状態なので、人にうつることはないのですが、大好きだった温泉にも行けなくなりました。人に見せるとすごくビックリされましたが、私自身はそこまで気にはしておらず、それよりも母親が見るたび、心を痛めるほど心配させてしまうのが私にとっては何よりストレスだったかもしれません。
一気に出だした体の不調、これではいけないと思いましたが、病院では原因も分からず、薬もなく、一生治らない病気であるとのこと。
病院で治らないのなら仕方がない!自分で何とかしなければ!といろんなことを試すうちに、官足法に出会いました。
毎日揉んでいると、体の疲れやすさや体調なども一気に変わり、子宮筋腫も小さくなり生理痛もなくなって、子宮がん検診も正常値にとどんどん体が変化していきました。これはすごい!と周りの人にも伝えると、みんなもとても元気になり、いろんな体験談も教えてもらえてますます良さを実感していきました。
一番ひどい状態からは半分くらいにはなっていましたが、唯一改善できていない尋常性乾癬をなんとか治したい!みんなに効果的な足もみを伝えるためにももっと勉強したい!という思いで官足法指導員養成講座に参加しました。
今まで官先生の本で乾癬には腎臓が大切ということを読みしっかり揉んでいるにもかかわらず改善できず、まだ足りないのかな?と思っていましたが、講座で腎臓の効果的な位置を教えてもらい、全体の揉み方も変えたところ、なんと1週間で皮膚に変化が出だし、3ヶ月たつ頃にはすっかりキレイに!
レポートのためのモニターも興味をもって下さる方が多く、予定人数の倍くらいは指導しましたが、すでに自分で揉んでいた方も短期間での変化、即効性に皆さん驚いていました。モニターをさせていただいたことがとても勉強になり、私自身も大きな変化があり、乾癬を治したい!という目標も達成できて指導員講習に参加してよかったと心から思います。官足法の効果もより実感しましたので、これからもますます自信をもって皆さんに伝えていきたいです。

二度の脊柱圧迫骨折で曲がった背中が真っ直ぐに!

栃木県 E.S.さん(68歳)写真中央
2017年6月、66歳の時脊柱圧迫骨折をしました。骨密度は83%。仕事を辞めて家で過ごす日々。肺炎と腎臓結石もあり、咳でつらいのでコルセットはしたくありませんでした。2019年2月に二度目の脊柱圧迫骨折。薬を飲んでいるのになんで?と気持ちが落ち込みました。二度の骨折で背中が曲がり上半身が前に倒れて歩くので、まだ60代なのに周りから見たらすっかり腰の曲がったお婆ちゃんです。
6月15日、ランチ会をしている友人(歌子さん)宅で初めてウォークマットⅡに乗りました。本ももらって痛い理由を納得。注文したウォークマットⅡにタオルを二枚敷き靴下を履いて乗るも5分と立っていられません。それでも5分でも、乗ればお腹が温かくなって気持ちがいいと感じました。三日目に腰の痛みが軽くなり、すぐに肺も楽になって咳が少なくなりました。顔色が良くなったと言われたのもこの頃です。一週間経つとおしっこの回数が増え、二週間目、二日続けて便器いっぱいの便が出ました。体がスッキリして軽くなると同時に気持ちも前向きになりました。
7月中旬にはグリグリ棒で指先など細かい部分ももむようになりました。8月初めにはウォークマットを踏むと背筋がピンと真っ直ぐして来てお腹に力が入るようになってきました。「あんなに腰が曲がっていたのにどうしたの?肌もツルツルね」と周りから言われるようになりました。
8月10日、歌子さんの娘の官足法指導員あつこさんの講習がありました。腎臓・輸尿管・膀胱の反射区をきちんと教えてもらい、圧迫骨折のある私はカルシウムに重要な副甲状腺の反射区のもみ方もウォークマット、G棒、グリグリ棒でしっかり教えてもらいました。
8月24日、病院での検査で骨密度が12%増えていました。次回もこのままなら薬は止めましょうと言われました。二年前から同じ薬で変化なく、官足法のお陰と確信しました。
現在は家事が終わってお風呂に入り自室に戻って30分ウォークマットを踏み、G棒とグリグリ棒で30分の一時間を官足法の時間にしています。時々やる気の出ない時もありますが、とりあえずマットに乗ると真面目な性格が功を奏して1時間やってしまいます(笑)。
官足法を始めて3ケ月、官足法に出会わなければ寝たきりになってしまったのではないかと思う時があります。自分で自分の身体を治すことが出来る方法があることを知って今は気持ちが前向きになり、生きる張り合いが出来ました。
離れて暮らす子供達家族にも官足法グッズをプレゼント。看護師をしている娘からは「仕事で足が浮腫んでも浮腫みが取れる」と嬉しい報告がありました。95歳で一人暮らしの父も官足法を始めたので、見守るためにも続けていきたいと思っています。
官足法を教えてくれた歌子さんと娘で指導員のあつこさん、一緒に官足法を頑張ってくれているサト子さんに感謝です。
官足法指導員あつこさんより
とても熱心に取り組んで、体の変化がある度に母に連絡、母も嬉しくて私に、と嬉しい伝言ゲームのようでした。まだまだ改善したい点があるそうで、また嬉しい報告が楽しみです。
普段は東京ですが、実家のある栃木県那須郡那珂川町でも講座をしています。

医師も驚嘆!官足法3ケ月、副鼻腔炎完治!10年ぶりに味覚と嗅覚が戻った!

北澤正夫(東京都52歳)
「食べる」ということは生きていく上での大きな喜びです。何を食べてもおいしいと感じられない、食べ物の味がわからない、ということは本当に悲しいことです。
私は慢性の副鼻腔炎の為、10年以上そんな状態が続いていました。また様々な匂いもほとんど感じることができない状態でした。私の場合、唯一効果があったのは、強力なステロイド剤だけでした。耳鼻科の先生に、今は他に治療法がない、と言われ本当に落ち込みました。
そんな私を心配した友人が、官足法の岡山至先生を紹介してくれました。
先生に初めて足を揉んでもらった時、あまりの痛さに涙が出るほどでした。しかし、痛みと共に、「これなら絶対治る!」と直感的に感じ、官足法の素晴らしさ、そして岡山先生のお人柄に本当に感激しました。
前頭洞の反射区を強くもんでもらった時、頭の上の半分だけ汗でびっしょりになり、痛いところをもむとちゃんと身体は反応することを体験しました。
そして確信をいただいて自分での足もみが始まりました。
始め両足にシャワーをかけて暖めてから、グリグリ棒などを使って左足の裏から指先まで丁寧にもんでいきます。そしてお風呂にお湯を溜めている間に、ウォークマットに乗って好きな音楽を聴きながら足ふみをし、今度は半身浴をしながら、太もも、ふくらはぎ、足全体をお湯の中でもんでいます。足に愛情をかけてあげた分だけ身体が応答してくれる、と感じています。
今ではやらずにはいられない、という感じです。やり始めてから三か月になりますが、この前洋梨ラフランスを食べた時、「美味しい!こんなおいしい物があったんだぁ」と、心が喜びでいっぱいになりました。
今日は三か月ぶりの耳鼻科の診察日。有難いことにステロイド剤を一度も服用せずにこれまで来ています。内視鏡で鼻の中を見てもらい、「まったく問題がないです。すごく綺麗です。」と言われました。先生も驚かれていたようで「何か生活に変化がありましたか?」と聞かれたので、「官足法を始めました。」と答えると「是非続けて下さい。」と言われました。

僕の祈りを聞き届け、官足法に出会わせて下さった神様に心から感謝します!

指輪が入り、靴もサイズダウン、夫は髪がフサフサに!

Y.S.(66歳)・M.S.(60歳)(岡山市)
平成27年に官足法指導員の湯口幸恵さんとお近づきになって以来、官足法について何も知らなかった私たち夫婦が足もみを続けて来られたのは、熱心な湯口さんのお人柄と毎月届けて下さる官足法ニュースのおかげと思っています。様々な体験談を「本当かな?」と思いながら読んでいましたが、ある時ウォークマットの写真が載っていて興味を持ち、取り寄せてもらいました。ところがとても痛くて乗れず、何とかごまかしながら続けていたところ、突然高熱が出て、でも一晩で下がり喉の奥から膿のような塊が出て来たので驚きました。これは足もみによって身体に変化が起きたのではと思い、官足法を基礎から知るために昨年の岡山講習会に参加しました。原理原則を学び痛さで泣きそうになりながら、主人と足もみを続け、一年経った今は入らなくなっていた指輪が難なく入り、靴のサイズが小さくなり体重も減りました。何よりかなり無くなっていた主人の頭髪がフサフサと、色も黒々して来たことにビックリしています。
官先生の著書に書いてあることは間違い無いと身を以て確信しています。これからも原理原則を忘れず、より隈なく万遍なくさらに力強く奥深く実践し、自分自身の健康を守っていきたいと思っています。

火傷・失明の危機を克服

                                                                           官足法指導員 明戸その美(群馬県)

今年の1月末に、熱湯とオイルが混ざったものをシェイカーで混ぜていたところ、容器が爆発して顔の右半分と右目に火傷をしてしまいました。
激しい顔と目の痛みで、救急車を呼びました。夜だったこともあり目を診られる病院まで救急車で1時間。長く感じました。
『目を開けられますか?』
『これ見えますか?』の問いかけに、目は腫れあがって開けられない、救急隊員の方が指で開けてくれても何も見えない。今までに体験したことのない不安に襲われました。

病院での処置と検査の結果、角膜が剥がれていると。顔も右半分の皮膚が剥がれて、目の周りは、まつ毛がどこにあるのかわからないくらい、腫れあがり視力は戻らないかもしれないと言われ、急に降りかかってきた事態に半分冷静な判断が出来なくなっていたのか、アホなのか『治るかどうかは自分で決める!私の身体、治すのは私!!』と諦めなかったんです。諦めたらそこまで、諦めなければ治すためのエネルギーが湧いてくるはず!!そう思ったのです。

次の日は自宅で官足法のワークショップだったのですが、中止の連絡を回すのにも携帯の画面がよく見えずに、だったら来てもらおう!と眼帯とガーゼとマスクで顔を覆いワークショップを行いました。
みんなとウォークマットを踏んでいたら途中、あれ??なんか様子が違う!
その後グリグリ棒でまんべんなく、力強く、奥深く!押しました。みなさんが帰ってから恐る恐る眼帯を外したら、目が半分自力で開けられたんです!あまりの急激な変化にビックリしたのと、やっぱり官足法!!という感動で、その夜も1時間かけて押し続けました。そしたら次の朝、普通に目が開くじゃないですか!!
目が開いたら『やっぱり見えない』という事実を突きつけられましたが、落ち込みませんでした。
『私には官足法がある』という強い自信と、治そう!という強い気持ちがあったから。
それから、毎日、時間があればウォークマットに乗り、グリグリ棒で押しました。4日目に何故か足指の目の反射区の所がボロボロと皮が剥け、不思議だなと思っていたら、1週間経った頃に、なんと視力が少し戻ってきたんです。眼科でも、すごい回復力だね!と驚かれました。角膜の再生はすごくゆっくりだそうで、『時間がかかることですよ。』と言われていたので、これはやっぱり官足法のおかげ!そして意味の分からないポジティブさのおかげ!とお風呂の中でもグリグリ棒、時間があればウォークマット。
肌の再生には脳下垂体!と官事務所の水溜所長にアドバイスしていただき、親指も念入りに押しました。おかげで痕が残っちゃうかもしれないねと言われた顔の右側もどんどん痕が薄くなってきています。

火傷から3週間くらい経ってから、官事務所での勉強会に参加させていただき、その時に視神経の反射区を教えていただいたので、それからお風呂に入り毎日押し続けた結果、3月現在まだ完全ではありませんが、生活に支障がないくらいまで視力は回復しています。

右目と左目の視力の差のせいで、酷い肩こりに悩まされましたが、それも改善されました。今まで官足法で膀胱炎や胃炎、息子のアトピーを治してきましたが、今回は私だけでなく、お医者様がビックリするような体験でした。

本来、身体は治す力を持っている。官足法はその力を最大限活かせるよう後押ししてくれるのではないか。そんな気がします。
今回のこの怪我で、見えていて当たり前だった事が実はとてもありがたい幸せなことなんだと気づかされました。今、家族の笑顔を毎日見れることが幸せに思え、今ある事全てに感謝しています。

 

子どもの皮膚炎がキレイに!        Y.N.(滋賀県)

ある夏、汗でむれた足が「痒い」から異変が始まりました。靴下や靴、食事法、保湿等外的にケア出来る事をしましたが痒みは強くなるばかり。市販の痒み止めを使用してもあまり変わらず。「もしかして水虫?」と皮膚科を受診するも、水虫ではないとのこと。夏が過ぎれば良くなるかな、ステロイドも入っていない軟膏処方なのでまだ安心と思っていましたが…なにせ子供は動くと汗が出る、汗が出ると痒みは収まらず…と良くなるどころか少し悪化。あまり薬には頼りたくないものの、ステロイドも上手く付き合えば改善できると信じていたので…皮膚科を再受診。予想通り、軽めのステロイド入りの軟膏が処方されました。少なくてもやっぱりステロイド。薄く塗っても症状が治まるので、子供も楽になることがよくわかり頻度が少ないにしても頼るようになっていました。でも、軟膏が無くなる頃にも根本改善は感じず季節が変わると落ち着くことを期待しましたが…落ち着くどころか、次は乾燥で痒みが酷くなってきました。

もうこれは方法を変えなければと、漢方薬を取り入れている皮膚科に切り替えました。漢方薬なので、苦い上にすぐに効果が出ないことも子供にとっては大変だったと思います。でも、漢方薬とワセリンで症状が安定したこともあり、子供は毎日頑張って漢方を飲むことと通院を続けていました。しかし、半年程たち、また夏の季節がくると…改善どころか、痒みを掻く力も強くなっていき、一気に悪化が進みました。足指の間はもちろん、足の甲、足裏も半分近くが乾燥したりひび割れたり、ジュクジュクし靴下をはく時も大変になってきました。靴下で皮膚がひっかからないよう軟膏を塗ったガーゼを張り付けてから靴下をはかせました。

このような状態なので、漢方薬処方の皮膚科でもステロイド入りの軟膏を処方されるようになってきました。これはよくないな…と思いつつ、症状が軽くなり子供が楽になっている姿を見るとどこか安心している私がいました。ですが、ある日見た子供の姿、足裏をきちんと着地させないよう痛みをかばって歩くその姿に、私は何をしているんだろうと。何か方法があるはずだと。その時にやっと、以前書店で見た本がきっかけで独学でしていた足もみを思い出し勉強し直しました。今、私が出来るのはこれしかない。お薬を止めることはとても勇気がいりましたが、ステロイド不使用軟膏やワセリンで保湿しつつ、苦くて辛い漢方薬も飲まなくて済むかもしれないから、一度違う方法をやってみようと子供にお願いしました。

それから、ようやく、ウォークマットにバスタオルを乗せての足もみがスタートします。嫌がらず踏んでもらうために子供に一つ提案をしました。「ウォークマットに乗っている間はスマホゲームをして良い」というものです。小学生だったその子には願ってもない提案で、毎日15~20分は必ず乗るようになりました。そしてなるべく毎晩子供の足もみをしました。足もみといっても、指先から土踏まず近くまで症状が出ているので、足もみ出来たのは「腎臓・輸尿管・膀胱」付近です。ウォークマットは早いうちに素足で乗れるようになり、官足法基本3点が押せていたのが幸いだったのか改善に向かいました!ですが、その前に…「こういうことか!」とお手本のように好転反応で、症状のジュクジュク度が増し本当に本当に酷くなりました。間違っていたのかとめげそうになりましたが、踏ん張り時だと親子で頑張り続けると嘘のように綺麗になっていく皮膚!

「普通に歩ける・靴下がはける・痒みがない」当たり前のことが出来ている、このことを家族中の誰よりも下の子が実感していたと思います。皮膚が綺麗になったあとも、少し痒みが出ることはありますが、「マットに乗れば・足もみすれば治る」と知っているのでもうひどくなることはありません。遠回りして辛い時間を過ごさせてしまったことを親としてとても反省していますが、官足法に出会えたことに本当に感謝しています。

追突事故の後遺症とリウマチの痛みが消えた!  N.Sさん(73歳 青森県)

軽自動車に乗っていた時に追突され、車がひっくり返りました。タイヤが8本あるユニック車の運転手の居眠り運転でした。30年前のことです。今生きているのが不思議なほどの事故でした。おそらくその時脚の付け根の真ん中を打撲したのでしょう。そこはいつもすごく痛かったのです。左腰は真黒く痣になり、そのせいでか左太ももの外側には触るとゴリゴリする塊ができていました。リンパマッサージにも随分通いましたが塊は取れず、お天気が崩れる二日くらい前になるとその左腰からお尻にかけて重だるくなっていたものでした。
二川目さん(官足法指導員)の美容室に通うようになり、教えてもらった官足法をやり始めて一年足らず。家でテレビを見ている時、お茶を飲むとき、お風呂に入る時、赤棒やB棒でついでに揉むようにしていたら、30年間苦しんできた脚の付け根の痛みが取れ、左太もも外側の塊が無くなり、左腰からお尻にかけての重だるさも無くなりました。最近ではウォークマットも最初の頃の頭の芯まで跳ね上がるような感じだったのが無くなり、乗れるようになってきました。
乳がんになり、その入院中にリウマチがわかったのは62歳の時のことです。去年の7月には急に熱が出て風邪薬も効かず、40℃近くまで熱が上がりました。首からお腹まで痛くて痛くて…。検査の結果リウマチの薬の副作用でリンパ球が増殖したのだと言われました。これはその薬を止めたらすぐに治りました。
事故の後遺症かリウマチの痛みか、左の内くるぶしが痛くて歩くのが苦痛だったのも官足法をやり始めて痛くなくなりました。左小指がどうしても開かなかったのが棒で揉んでいたら開くようになったこととも関係しているのだと思います。足は指から脚の付け根まで、二川目さんに教わったとおり全体を揉んでいます。痛みから解放されたことで毎日の生活が全然違います。
友達にも棒が欲しいと言われて上げました。指の関節が腫れて痛かったので棒でツンツンしていたら今はもう痛くないそうです。
これからも二川目さんに教えてもらいながら足をもんで、なるべく元気に過ごしたいと思います。

膝関節炎、高血圧など、加齢に伴う不調を克服

89歳の来訪。股関節に穴!本を頼りに乗り越えました

                    福島県 S.Kさん
2年前、歩いていると急に膝が痛くなって、それから動けなくなりました。この時は足の甲がパンパンに腫れていました。7つの病院で検査もしたけれど、水を抜いてもズッキンズッキンと痛いまま。お医者にも「温めてマッサージするしかない。」と言われ、温泉に行ったり、介護保険でマッサージを頼んだりするうち、ハッと思い出したのが、28年前娘婿がくれた官有謀先生の本『足の汚れが万病の原因だった』のことでした。その頃半月板損傷が足を揉んで良くなったので、他の本は処分してもこれだけは捨てる気になれず、ずっと持っていたのです。

この本のお陰で私は命拾いしました。というのは、膝だけでなく、朝起きたら血圧が240あったこともあったからです。一人暮らしですが、その朝は首がカチンコチンになって動けず、烏が窓辺でカァカァカァと三度鳴き、ああ、これで死ぬんだかぁ…と観念したまままた眠りについたものの、翌朝お腹が空いて目覚め、また足を揉みました。難しいことはわかんねぇだども、固い所があったら一所懸命もむ。すると痒くなり、おしっこが変わる。そうやって良くなっていく。それは間違いないです。

トマトジュースみたいな色のおしっこが出たことも3回あります。そん時は必ず下腹が痛くなる。がんか何かかな、助かんねぇと思ったけども、痛いところを揉めばいいんだと官先生の本に書いてあるんだからと、とにかく一所懸命揉んだ。今ではもう何もないです。

3年ほど前からお尻(股関節外側)にザラザラと固い瘡蓋のようなものが出来ていたのも、揉むようになってある時ポロっと取れた。周りは黒っぽいけれど、中の芯が取れたような感じ。自然に塞がって治りました。膝も良くなり、歩いて東京まで来れるまでになりました。努力しました。ひどい時は夜中泣きながらやったものです。「官先生、これやったら助けてくれんべぇかな」と。こんなこと、友達にも誰に言ってもわかんねぇ。自分でやるしかないから、本だけを頼りに、棒一本でやってきました。夜中に足のどっかが痛くなると明日ここをもめばいいんだな、と思うんです。何事もいい方に解釈することにしています。痛いのは身体が教えてくれているんだと。私が体験したことは全部この本に書いてある通りでした。だから一度来て官先生にお礼が言いたかった。

※官事務所を訪れた小柳さん、「来てよかった」と涙ぐみながら何度も官先生の遺影に手を合わせ、杖も無しに帰られる元気なお姿が印象的でした。