難聴を克服!テレビの音が35から20になった!
官足法指導員 エノダイ 76歳 埼玉県
■他人の話が聴こえない
始まりは今から5年くらい前、令和3年のことです。
車を運転するときにウインカーの音が聴こえにくくなって来て、そのうちだんだん光が見えるだけになって来ました。
その頃、耳鳴りとか耳の詰まった感覚があって、自分の声が鼻声になったような気がしていました。他人と話していても「声が小さいんじゃ?もうちょっと大きな声で話してほしい」と思うようになりました。
ある時「いや、もしかしたら自分が聴こえないのか?」と思い、それから相手の声を集中して聴くようになりました。それでも多分おかしな会話だったでしょう。わからないのに何度も聞き返すのが悪くてわかったようなふりをして、意味がわからないまま返すので、見当違いなことを言っていたり、聴こえないからこちらが無視するようなことになったり、会話の輪に入るのがつらくて一人の方がいいや、となったりしていました。
■滲出性中耳炎の診断…治らなくて補聴器なんてイヤだ!
翌年妻が亡くなりました。人工透析をして24年、官足法をやっていたお蔭で長い透析生活をそれなりに元気に過ごせたのだと思います。長年足をもんで上げていた妻が亡くなり、つらい気持ちで過ごしていました。令和5年5月頃、娘から「お父さん、近くで大きい声で話さないと聴こえなくなってる。話が通じないよ。」と言われ、病院で診てもらった方がいい、と一緒に行くことになりました。私一人では医師の話が聴こえないので。診察の結果、左耳が滲出性の中耳炎になっていていて水が溜まっている、とのことでした。鼻から空気を通す”通気”という治療をしてもらいました。耳がすっきりして聴こえも少し良くなり、これで治るんじゃないかと思いましたが、5カ月くらい通ったところで医師から「補聴器つけるかい?」と言われました。ショックでした。「医者だったら器具なんか使わないで治し方を教えてくれてもいいだろう?」と心の中で思いました。
その時からです。「官足法で治してみよう!」と真剣にもみ始めたのは。
■官足法で耳の聴こえを治す!
習慣として足をもんではいましたが、耳をこれで治せるとまでは正直あまり思っていませんでした。あらためて自分の足をよく見ると耳の反射区のある足指はふっくらとしていました。真剣にもみ始めるとふっくらしていたゆびは皮膚が硬くなりました。それを取ってはまたもみ、ということを繰り返し、それ以外にも平衡器官の反射区などを含め足全部をもみました。耳の周囲も直接もんで2~3ヶ月、全く変化なし…。
それが3ヶ月を過ぎた頃、突如まわりの雰囲気が変わったのです!
周りが綺麗になったという感じです。日常がハッキリ立ち上がって来たのです。それまでは何が起こっても、何を言われてもボーっとしていて気付かず、「エノさんのことを言ってるんだよ。」と言われてもわからなかったのですが、もう聴こえるので反応できます!
周りの人も私の会話が普通になったことに気付いてくれて「足もみを教えて」と言って来たり、耳の悪い友達に教えてやりたいと言ってくます。
■諦めずにやれば、出来る!
何より自分が「やれば治るんだ!」とビックリしています。有毛細胞が無くなったら耳はもう聴こえるようにはならない、という知識はありましたから。けれど自分の体験を通して、もしかしたら他の事でもやれば何でも出来るんじゃないかなぁ、と思うようになりました。
■官有謀先生との出会いに感謝
思えば官足法との出会いは平成8年頃でした。妻が導引養生功の神田廣美先生の生徒で、神田先生が春日部に官先生をお呼びして講演会を開かれた時です。妻を送って行った後、申込をしていなかった私は外にいましたが、そこで官有謀先生と水溜所長を見かけました。思い切って「お話を聞いてもいいですか?」と声をかけると小柄な官先生が張りのある声で「どうぞ」と気さくに答えてくれました。お話の中で「田中元総理の足もみた。真紀子さんもいたけれど足をみることはできなかった。」ということを仰っていたのを覚えています。その後すぐ官足法指導員養成講座に参加し、養生功も習うようになりました。30年経って、あらためてこの出会いに感謝しています。