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ウイルス性髄膜炎 必ず治す! 心の支え官足法と導引養生功

 鈴木郁夫(66歳 埼玉県)

■ここはどこ?

気が付くと病院のベッドの上で身体には何本もの管。身体の丈夫さが自慢であった私の自信が崩れ去った瞬間だった。

ちょうど二年前の夏、一週間近く食欲もなく39度前後の熱が続き、外出先から帰宅したところで気を失って倒れた。翌日の6月14日朝までの記憶はない。救急車で近くの総合病院に搬送されたのだ。

正に自業自得であった。

この2、3日前から自宅の電話のかけ方が分からなくなり、講師を務める導引養生功の教室でも言葉が頭に浮かんでこなくなっていた。使い慣れた公民館の印刷機の操作も出来ない。こんな状態になっていたにもかかわらず妻に車の運転を頼み込んで教室に出かけ、帰宅した直後、ウーッといううめき声を発して崩れるように倒れ、意識を失ったようだ。

■「髄膜炎です」

入院直後の血液検査では特に異常はなし。たまたま診察したのが神経内科の医師であったことから、髄膜炎の疑いがあると、直ぐに髄液を抜き取り、検査を進めてくれていた。

結果は、医師の見立てのとおりウイルス性髄膜炎。抜いた髄液中に240のウイルスが入り込んでいるとのことであった。何が原因で入ったのかは不明。後に妻から聞いた話だが、担当医からは「このまま寝たきりになる可能性もある。動けるようになったとしても、失語や失認、記憶障害などの高次機能障害が残る恐れがある」と言われ、子供達にもそのことを伝えて覚悟をしていたそうだ。

■「勝手に動かないで」

トイレ以外はベッドの上での生活。髄液に入り込んだウイルスの増殖を抑えその数を0にするために、抗生物質の投与と免疫力を高めるための治療が開始された。MRIでの検査や血液検査、手足の動きのチェックのほか毎日医師の『ここはどこですか』『貴方の生年月日は』など簡単な質問に答えることが日課となった。三日目くらいから、組み合わせパズルや簡単な暗算による脳の状態を見るテストが始まった。

■復活に向けて真打登場

十日ほどして脚力の回復を中心とするリハビリが始まる。私にはこの頃からある計画があった。

例年3月に開催される導引養生功の昇段検定がコロナの感染拡大により延期され、7月23日に開催されることが決まっており、この検定に間に合わせるために、6月中には退院して、3週間でしっかりと動作ができるように脚力を戻す。こんな計画だった。

ところが、6月末になってもウイルスの数は思うように減らない。そこで、妻に連絡して看護師さんに見つからないように、着替えと一緒に歩行板と赤棒を持ち込んだ。この相棒の到着が功を奏した。

幸い一人部屋だったので、就寝前の回診の時間までの間に指先から股関節までの脚全体を精一杯の力でぐりぐりともむ。本来一日に一度のリハビリも医師に相談して、午前・午後の2回に。朝は早起きして、ベッド上でのストレッチ。

横になりながら、ゆっくりと深い呼吸に合わせて頭の中で検定試験の動作を繰り返し行うことで、精神的にも肉体的にも元気が戻ってきたことを実感する。頭のもやもやも取れ、身体のふらつきもなくなった。

■やっと退院

7月に入って一週間ほど。この時点で体重は8キロ落ち、まるでボクシングの試合前で減量をしたような状態だが、筋力回復リハビリの先生からは、「鈴木さんはリハビリというより、ジムに来て楽しんでいるみたいだ」と言われるぐらいに回復。回診に来た医師からも「心配された高次機能障害も起こらず順調に回復している」との言葉をいただいた。

このタイミングを逃してはと、医師に退院を頼み込んだ結果、少しでも異常を感じたら担当医の名前を告げて緊急で来院することを条件に、7月13日に退院が決まった。23日には導引養生功の検定試験も受けることが出来、なんとか昇段。退院から一か月後の検診結果では、自分で異常を感じない限り、通院の必要はないという言葉をいただいた。

■一生の財産

家族や導引養生功の仲間には心配をかけてしまったが、入院をしたことで、改めて自分の健康は自分で守るという言葉の意味を考えさせられた。

自由に動くことを制限された入院生活の中で、医師や看護師の手当、家族・仲間の励ましは勿論だが、私の崩れた気持ちを立て直してくれたのは、官足法と導引養生功だった。共に25年近く続けてきたことで培った身体(気血の循環と体力)と心(信念)によるところが大きかった。私にとって、官足法と導引養生功は心と身体を一生支えてくれる欠かすことのできない財産だ。