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官事務所の小窓

2月6日

 2月のある日、「長生きしてもいいことあるの」と題した投稿が新聞に出ていた。45歳の会社員からのものだった。日本は世界でもまれな長寿国であり、医療も発展している。その根底には「長生きは良いことだ」という考えがある、しかし、今後まともな退職金はもらえそうにないし、年金も60歳からもらえない。ということは働くことになるが、収入は推して知るべし。おまけにどんなに医療が進んでも「老い」はやって来るし、慢性的な病気と闘わなければならない。まさにワーキングプアに突入することになる。「悠々自適」など死語になり、いたずらに寿命を延ばすことがいいのか、と結んでいる。
 確かに日本の現状をみると、明るい未来を見出すことは難しい。今現在働き盛りの人にとっては老後のことを考えると暗澹たる気持ちになるだろう。どんなに「備え」をしようと思っても、できることは限られているからだ。
今、国会では「社会保障と税の一体改革」が議論されようとしているが、与野党とも真面目に取り組んでいるようには見えない。このような現状を見るにつけ、働き盛りの人には絶望にも似た感情が湧いてくるのもうなずける。(幹)


 新しい年が明けました。年末年始は交通機関もそれなりに込み合っていたし、デパートなども福袋を買い求める人で賑わっていました。テレビの街頭インタビューでは昨年の震災を念頭に「今年はいい年にしたい」と願望を込めて語っている人が多いようでした。当然のことでしょう。しかし、自然災害とは別な意味で激動の一年になるのではないかという評論も少なくありません。政治の世界では野田首相が消費税増税を不退転の決意で決めると言っていますし、経済の面では相変わらず円高が続いており輸出産業は危機感を募らせ、景気の底割れも懸念されているほどです。世界的には昨年から続く欧州の金融危機がさらに広がり、その影響で世界同時不況に陥る危険性があるという評論家もいます。また、今年はアメリカをはじめいくつかの主だった国でリーダーの選挙があり、その結果次第では状況が大きく変わるとも言われています。
 そんなわけで「いい年」にしたいのはヤマヤマですが、決して楽観できる状況でもなさそうです。個人の力ではほとんど何もできそうにありませんが、健康管理なら出来ます。足をもんで自分も家族も元気で過ごせるようにしたいものです。(幹)


2012年1月1日

 明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年からタイトルを一新しました。よろしくお付き合い下さい。
さて、辰年というと思い出すのは昨年来日されたブータン国王が被災地の小学校で語った言葉、「私は龍を見たことがあります。龍は経験を食べて人の心に育つもの。皆さんも経験を糧として大きな龍を育てて下さい。」と。幸福の国ブータンの王様は優しくて力強い励ましを子供たちに与えてくれた。
天高く上がる凧にも龍の字が付き物だけれど、大きく育って伸びやかに天を駆ける龍のようになったらいい。

12月28日

 暮れも押し詰まり、何かと気ぜわしいような、半分諦め気分もあるような日々である。残業ついでに気になっていた近所のラーメン店に行ってみた。確か「頑固ラーメン」という店だったが、先日その辺りを通った時、目の端にラーメンすなおと映ったのだ。まさかね、と思いながら、気のせいとやり過ごしていたが、どうも気になる。今年一年にやり残しがないように確かめてみることにした。以下、写真。
…店主が変わったのだそうだ。頑固もいいが、素直がいいよ、ということらしい。頑固ラーメンはきっと、こだわりの味を追求するという意味なのだろうから文句は無いが、日常には素直がいい。素直に言葉を出す。これが案外難しい。人に対して無垢な信頼を持っていて始めてできることかもしれない。でも、恐れることにも利は無い。笑顔には笑顔が、信頼には信頼が返ってくることを、理屈では無く実践で分かるべきなのだろう。もう私たちは…。
さて、今年は大きな災害に見舞われた年でしたが、官足法を支持して下さる皆様のお陰をもって無事年越しを迎えられそうです。本当に有難うございます。どうか、悲しみに慰めがありますことを。労苦と喜びが来年に繋がり、大きな実を結びますよう。そして、健康でありますよう、心よりお祈り申し上げます。


12月10日

 早いものであと20日ばかりでもう新しい年になる。今年は震災をはじめ、大きな災害が多い年だった。
 先月の官足法指導員養成講座でも、宮城県から見えた参加者がいる。内陸の方だったが震災当時の様子を聞くにつれ、報道されていない数多くの戦慄すべき事実があるのだと思った。先日電話でお話ししたら、少しでもみんなを元気づけようと始めた足もみサークルが今では17人になったという。家にこもりがちなお年寄りが一人増え、二人増え、と徐々にではあるが、広がっているらしい。そこで彼女の穏やかな笑顔がみんなを和ませ、触れ合うことで心を開いてくれる人たちが、また彼女を励ましているであろうことを想うと、なんだか胸が熱くなるのだ。
 絆という言葉が息を吹き返した今年、人と人との心の通い合いこそが幸せと、あらためて思うのである。


11月19日

 街にクリスマスソングが聞こえてくるこの時期は、喪中はがきの季節でもある。いつしか、訃報を聞くことが多くなったのはそれだけ長く生きてきたということか。
いろいろな逝き方があるが、時も含めて自分で決めていったのではないかと思うことも多い。遠く離れた家族が集まれる時に亡くなる人や、後で考えればその時期が本人にも周りにもよかったのかもしれないと思える人もいる。
そうは言っても、胸が張り裂けるような別れを繰り返して私たちは生きている。もっと生きていて欲しかった、それが掛値無しの本当の気持ちだ。ましてや災害で大切な人を亡くした人々にとってその喪失感はいかばかりか…。
 誰しも死なない訳にはいかないのだが、せめて生きている間その人らしく生きられるように応援するのが私たち官足法に関わる者の生き甲斐だ。最後まで大好きな煙草を離さなかった官有謀先生もフフンと笑っていてくれようか。8回目の命日に寄せて…。
合掌


10月22日

震災後の世の中に慣れてきた。(多少!?)汚染が心配される食べ物や空気、水も、摂りつつ生きていくのだと。円高還元の無い円高にも慣れ、状況に気持ちが慣れてきたら節電も元に戻りつつある。冬になったらまた必要に応じてせっせと励むことになるだろうが。
「慣れる」とは違和感を覚えなくなることだそうだ。ずっと緊張しているのは大変だから一種の防衛反応なのだろう。
「初心忘れるべからず」は「慣れる」ことを戒めた言葉だ。最初の気持ちをずっと持ち続けることの難しさ。子供がオギャアと生まれた時の喜びと感謝をずっと持ち続けられたら、親子喧嘩はぐっと減るだろう。
夏が過ぎ、秋が来て、冬になる。変化に応じて慣れなければいけないこと、忘れるからいいことはあるけれど、ふと立ち止まり違和感を確認することは流されて生きていかないために大事なことかもしれない。慣れなきゃしょうがない、というのは努力しない言い訳になることもあるから。自戒を込めてそう思う。


9月7日

 各地で甚大な被害が出た先週末の台風、またも多くの犠牲が出、多くの方が被災された。不幸にして亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災地の一日も早い復興を願う。
この週末、八戸は晴天だった。3月11日の津波で大きな被害を受けた埠頭では土日の朝市が開かれ、日も上がらぬ前から大勢の人で賑わう。あの日大きな船がゴロゴロと道に上がっていたという名残は今は無い。水に浸かった爪痕はあるけれど、きれいに片付けられた町で、人々は元気に働いている。
日曜日に開かれた官足法八戸講習会には地元の官足法指導員を中心に会場いっぱいの参加者が集い、熱心に講義を聞き、実技に取り組んだ。強くもむのが官足法の特徴だが、初めはおそるおそるの方が、納得するにしたがって真剣に取り組む様はこちらの方が頭が下がる。やると言ったらやり抜く東北人の意志の強さをあらためて感じた。
「復興」は今や文字通り九州から東北まで日本全土のキーワードだ。新しい内閣が長続きして復興を進めてくれることを、八戸のように七転八起の町があちこちにできることを願って止まない。


8月12日

 円高が続いている。輸出産業は大変だが、こういう時にはこういう時で、高い円で相対的に安くなった世界の資源を買っておくとか、元手があれば、やりようはあるらしい。
 それにしても、何年も前からドルが危ないと言われていたが、アメリカ国債の格下げでついに現実のものとなり、ここに至って金利も下げるという。日本が辿った超低金利政策は、お金を借りるにはいいが、貯金をしても増えない、消費意欲の湧かない、デフレスパイラルへの道だった。この出口のない道をアメリカのみならず、欧州でもイタリアなどが追随しそうだという。
 他に方法が無いのだろうか。もしそうだとしたら、資本主義は行き場のない袋小路だ。社会主義も高速鉄道の事故車両を埋めて隠蔽しようとするくらいだから、システムとして難しいのだろう。好調な発展を続けているかに見えるロシアもシベリアの開発で凍土が融け環境破壊が深刻だ。
こうなったら下り坂に身を任せ、地球資源の浪費や環境破壊をできるだけせずに、モッタイナイの精神で知恵を絞り力を合わせて、なるべくゆるやかに坂を下り平地にたどり着くというのはできないか…。関東の方は節電で実績があるが、他のことでもなるべく節約し、江戸時代の人々のように限られた資源を無駄なく使う。発展と消費が美徳だった資本主義の考え方を大きく転換し、新しい価値を模索するのに、もう待ったなしの時代を私たちは生きているように思えてならない。


8月4日

 問1.「○肉○食」の○の中に当てはまる漢字を入れよ。
とあったら、あなたはどんな漢字を入れますか?ある生徒が「焼肉定食」と答えたそうだ。勿論出題者の意図する答は「弱肉強食」である。
 では、問2.人生の上り坂とは?
ある人が答えた。「上り坂は仕事も順調でだんだん出世して、どんどんお金が稼げる時でしょう。」
じゃあ、問3.人生の下り坂とは?
「そりゃあ、仕事でつまづいたりとか、病気をしたりとか、いろんなことが上手く行かなくて、もう人生こんなものかなぁ、なんて、夢も希望もなくなっちゃったりしてだんだんと歳を取ってゆくような感じ…。」
 ここで出題者曰く「えー?そうなの?下り坂ってさ、肩肘張って頑張らなくてもスーッと下りていけちゃう楽な時。上り坂は汗水垂らして頑張って頑張ってやっと上っていける大変なとき、なんじゃ?」
 正解は今のあなたが決めて下さい。


7月20日

 なでしこジャパンがワールドカップ優勝を成し遂げた。決勝戦は気負いの無い、高い集中力で、逆転に次ぐ逆転。試合を楽しむ、ということは正にこういうことなのだ、と思った。
試合後、選手の肩に東北のみなさんに宛てたメッセージ入り日章旗があった。被災者の方々の頑張りが選手の背中を押し、選手の活躍がまた我々の力になる。バトンを受け取ったらあの集中力を見習いたい。心配せず、後悔せず、ただ、今できることをやる。
いきなり上手くはできないが、目指していたらできるようになる気がする。なでしこたちの30年の歩みのように。


7月7日

 七夕というのに西からの雨雲で、東京では星は見えなさそうだ。短冊に書いた願い事は、それでもきっと届くだろう。雲の向こうはいつだって晴天なのだから。
 先日震災後に地域のラジオ局を立ち上げた若者たちをテレビが報じていた。被災者でもある彼らが自分たちの被災体験を伝えながら地元の方と交流し、拙いながらも思いを大切に届けていた。
 一方では復興を担う大臣の、人としての品性を疑われる言葉と態度。頑張ろうという思いはあったにせよ、あまりにお粗末だった。
 こんな時だからこそ言葉を大切にしよう、とどこかの大学の先生が言っていた。本当にそうだ。以前官足法の新年会で講演していただいた五日市剛先生も「ありがとうは魔法の言葉」と教えて下さった。官足法ニュースの一画でコラムを担当し、官足法指導員養成講座、続・養成講座の講師でもある岡山至氏も斎藤一人さんや様々な人々の言葉を紹介し、自ら実践されている。即ち、心配事や悪口を言わず、感謝の言葉などの幸せ言葉を言うこと、これだけで氏の周りでは良いことが次々起こるという人がいるのだ。
 旧約聖書にもあるではないか。「はじめに言葉ありき」と。私たちは言葉によって元気になれる。人間は得だ。そんな言葉を使っていかなくちゃ、もったいないというものだ。

6月14日

人間の寿命を延ばし老化を遅らせるのは簡単なことらしい。また足もみか、って?いやそれもそうですが、、バランスの取れた腹七分目の食事をすることだそうだ。我が官足法ニュースに文章を寄せて下さっている脳外科医、文ニューロクリニック院長の文隆雄先生も常々「腹七分」を唱えていらっしゃる。NHKテレビでは老化を抑える遺伝子の働きを紹介し、これを働かせるには軽い飢餓状態を作るのがいいのだと伝えていた。生物の歴史の中で種の保存のために仕組まれたものではないか、とも。 だとしたら神様は粋なことをなさる。飢えという切羽詰った状態に若さを保ち長寿になれる鍵があるなんて。他の生物の生命を大切にし、食物を分かち合う、足るを知る生き方こそが自分自身も元気でいられる生活だと教えてくれているようだ。 限りある地球の生命や資源を使い込んで人間は生きていることを、私たちはこの震災で実感として知った。食べる楽しみは捨て難いが、腹七分を目指せば、多少食糧が少なくなっても争って買いだめに走ることもないかもしれない。足をもんでも老廃物が少ないのであまり痛くない筈だ。「ちょっと足りない」を余裕を持って楽しめば、私たちは互いを思い合って、もっとよい社会を作ってさえ行けるのかもしれない。

5月31日

 5月のうちに梅雨入りするとは思わなかった。想定外だらけのご時勢だから、お天気も付き合いがいい。
想像できても関係者が敢えて想定しなかった原発の事故はしかし、いつ収束するのだろう。一日も早い解決を祈ってやまない。
先日指導員のためのサポートプログラム、続・養成講座の中で第三回担当の講師、食養のプロでもある滝澤利伊さんが玄米の効用を伝えてくれた。日本の伝統食ははからずも抗放射能食だったのだ。
玄米食を食べ、足をもみ、運動をし、モリモリと生きていこう。元気は元々私たちみんなが自前で持っている氣なのだから、こんな時くらい使わなくちゃもったいないというものだ。


5月13日
 今日から第28回指導員養成講座が始まった。東北から九州まで、定員を上回る講座は熱気に溢れている。岩手県の方、福島県からの方も、みんな元気だ。官足法ニュース5月号の、東京の官足法指導員宗像波子さんがボランティアに行かれた記事を見て、「被災者の方々を指1本で元気にしてあげられるって素敵だと思いました。」と参加された福岡県の方もいる。官足法指導員は一人一人が自分で実践できるように指導する。一人ひとりの力は小さいかもしれないけれど、若い力がこうして全国から集まってくれたことを心から有難いと思う。


4月22日

 春というのに東京ではこの2、3日季節が足踏みしているかのような寒い日が続いている。膨らんだツツジの可憐な蕾が首をすくめてまだかまだかと咲く時期を待っているようである。
 東北では桜の時期。テレビでは瓦礫撤去に働き始めた方が「桜が満開なのに自分が何もしないわけにはいかない。人間は働かなくちゃ。」と仰っていた。ごくごく自然にそう言われるその方の言葉に人間も自然の一部と納得する。けれど、働きたくても働き場のない人もまた多いだろう。新学期が始まり様々なことが動き出す中で取り残されたように感じている人たちもいるかもしれない。それでも、時は命ある限り一人ひとりに平等に与えられる。私たちはそれぞれの春を持っているのではないかと思う。
今が準備の時なら春を待つ草木のように、怠りなく準備していよう。身体を大切にして思いを大切にして、強く願って信じていよう。春が巡ってくることは必然なのだから。


4月14日

 今年も桜の季節が過ぎ行こうとしています。「一期一会」という言葉が胸に沁みるのは、また一つ歳を重ねたせいか、震災のせいでしょうか。
 10日、満開の桜の中、静かな瀬戸内の海を見下ろす地で官足法岡山講習会が開かれました。3年前の当地での講習会以来、岡山の官足法指導員湯口幸恵さんらが中心となって毎月勉強会を開いている成果が実り、この日も多くの地元の方々が見えられました。山口、島根、広島など遠方からも参加して下さり有難うございました。
 講習会では官足法に興味を持って下さった方々との新たな出会いに教えられ、励まされます。また官足法の指導員の皆さんとの再会も楽しみの一つです。それぞれに苦しい時期を経て、自分で足をもんで身体の不調を克服してきた皆さんの温かさにいつも支えられていることをあらためて実感しました。


4月5日

 東日本大震災への相次ぐ寄付が話題になっている。今年の賞金の全てを寄付するという石川遼君。被災者の方に思いはきっと届いただろう。100億円の寄付、と言えば長者番付日本一のソフトバンク孫社長だ。個人の総資産が6000億円を超えるそうだからなんともピンとこないが。
台湾でも寄付が100億円集まり、まだ増え続けているという。この中には一社で10億円出した企業もあるが、殆どは一般の人々からのものだ。日本の6分の1の人口で、経済もけして良くはないのに、この数字は日本人と勝るとも劣らぬ寄付をしてくれているということなのだ。台湾に眠る我が官有謀先生もさぞや鼻を高くしていることだろう。
なにはともあれ世界中の人が心配してくれているのだと思う。この温かな心に日本がいつか報いて、世界はもっともっと仲良くなってゆく、そうなったらいい。


4月1日

 3月は別れの月、4月は始まりの月、そのことが今年ほど身に沁みることはなかった。あまりにも多くの別れ…。人間の思いを遥かに超えた自然の猛威に日本列島が、世界が震撼した。今も続く原発の脅威。人間が予想を立てて綿密に計算したものは何だったのだろう。多くの人が様々な予定変更を余儀なくされている。人の計らいのなんと無力なこと。それでも今日のこの日常を生きたいと願う。
 計画停電実施中の東京電力管内では皆が節電を心がけるようになった。NHKのクローズアップ現代で紹介していたが、アニメ、エヴァンゲリオンの中で日本中の電気を消して電力を集め強力な砲弾を作った「ヤシマ作戦」にちなんで若い人たちもヤシマ作戦を合言葉に節電を呼びかけているという。一人一人が心がけることで停電を回避する大きな力になるのだ。
 一人一人ができることは小さなことだけれど、集まれば強い力を発揮することを知った意味は大きい。半身に深い傷を負った日本だけれど、今から始まる未来はそう捨てたものではないかもしれない。


3月23日

  映画「メゾン・ド・ヒミコ」、NHKドラマ「火の魚」などで知られる脚本家の渡辺あやさんは16年前阪神淡路大震災を経験されたそうだ。21日付け神奈川新聞意見提言欄に、彼女が書かれたことを以下抜粋して紹介したい。
――(前略)直接の被害者ではない私たちにできる最低限のことは、まず事態の対応に追われている方々を「安易に責めない」ということだと思います。(中略)まずは「感謝」ということが何より大切だと思います。つとめて「ありがたい」と思うこと、あるいは相手にそう伝えることは、単に倫理や道徳的な意味をはるかに超え、状況を、そして混乱の中にいる私たち自身の心と体を助けるのにもっとも効果的な方法です。「怒る」あるいは「責める」ことで何かが改善するようには決して私たちはできていない。本当に有益なのは「感謝する」ことだと思います。――
 ドキッ。TVを見ては何かと言いたくなる我が身を振り返る。
 渡辺さんは続けてこう言う。「とにかく足元を温めて」と。「足元を温めると体と心は非常に安定する」と。「足が温かい」という状態は、それだけでかなり心を楽にしてくれます。続けると風邪をひきませんし、体調も想像以上に改善されていきます、と。
 暖かい靴下などを履くようにとの勧めで文は締めくくられているが、足湯や、それが無くても足もみがオススメだ。しっかり足をもんだときの内からポカポカの温かさ、グッズが無ければ自分の手でもむだけでもいい。「感謝」で心を温かくし、足元も温かくしたら、今日を笑顔で過ごせそうな気がする。


3月19日

 ふと気がつくと毎日使っている階段の横に小さなコブシの花が咲いていた。細い枝に白い蕾をいっぱいにつけて、ひとつふたつとまるで生まれたばかりの赤ちゃんが小さな手を開くように花びらを伸ばしている。
 3月11日の前と後で、世界は変わってしまった。津波と原発、避難所の人々の涙と笑顔…。大切なものを失ってなお朝が来てまた夜になるこの日々を生き残った人たちは劣悪な環境に耐えて過ごしている。自らを励ましつつ。
 自分だったらあんなふうに笑顔を見せられるだろうか?「有難い」「幸せ」と、あんなふうに言えるだろうか?被災してなお相手に向けるやさしさが、胸を打つ。
 ついこの間まで無縁社会を嘆いていた日本のあちこちで、声を上げ手を差し伸べようとしている人がいる。相身互い、助けてと言い、助けたいと言おう。生きて在る者同士。いつか時が過ぎてもこのことを心に深く刻んで、握っていたコブシを開いて、手を繋いでいこう。


3月12日

 未曾有の惨事が起こった。太平洋沖地震をはじめ、各地で強い地震が同日に起こるという事態。特に東北地方の被害は甚大だ。亡くなった方、行方不明の方は12日朝現在で1000人を超すというからこれからどれだけの被害が明らかになってゆくのか…。ご冥福をお祈りし、一日も早い復興を心より祈念申し上げる。
 東京でも強い揺れがあり、出先の葛飾区から中野区の事務所に引き返した。バスと順次再開した地下鉄と私鉄を乗り継いで、8時間。携帯のワンセグで情報を取ったり、地図を廻し読みしたり、メールや電話で得た情報を共有したり、バスの中では知らない人同士が助け合った。
 東北地方の方たちは忍耐強く、どんな状況も静かに受け容れ、暖かく助け合うというイメージが私にはある。そんな人たちの苦境をみんなで支えていけたらいい。


3月7日

 また外相交代とは…。足の引っ張り合いも大概にしてもらいたい、と殆どの国民は思っているはずと感じるが、当の政治家たちは思わないらしい。東京は雪。こんな雪の中でも土に根を張って水を吸い上げ、固い蕾の中で花びらの準備怠り無い、まだ見ぬ今年の櫻を思う。自然の営みは何があっても営々と続く。ニュージーランドの地震で、何もかもなくなった瓦礫の下にもまた草が生え花が咲くことだろう。草や木、その種は生きることが仕事で、ただ、ただ、生きている。今を。その結果として芽吹きの春を迎えるのだ。「明日を思い煩うこと無かれ」という聖書の言葉は慰めでなく、生きる本質を言ったものかもしれない。日本の未来には不安を禁じえないけれど、人間はまた自然の営みの一部として、ただひたすらに今を繋いでゆくことができるのだ。

3月1日

 もうすぐ雛祭り。雛あられに桃の花、甘酒の愉しみもあれ、やがて春。
 春、といえば「サクラ咲く」だが、大学の入学試験問題がネットで回答される時代になったとは、いやはやびっくりである。回答した方は今頃どんな気持ちだろう。同情するに余りある。
 目の前のことで焦ったり、不安になったり、大間違いなことをしでかしたり、人間だからいろいろやる。当人たちは周りの期待になんとか応えようとしたのかもしれない。ただ便利だからやったのかもしれない。これまで目標に向ってそれなりに努力してきたのだろうに、もったいないことだ。
上手くいかないときも、後になってみると大きな意味があると思えることもある。自分を大切にしてもらいたい。いずれにしろこれから綺麗なサクラがたくさん咲くことだろう。


2月23日

 中東の情勢から目が離せない。これまでの世の中が大きく変わってゆく転換点に私たちは歴史の証人として立っているのかもしれない。世界中の様々な場所で、人々の心の中で既成の価値が崩れ、新しい価値が生み出されてゆく。変化こそが常なるものとは言え、そのスピードの速さに驚く。
 さて、20日には新しく官足法指導員のためのサポートプログラムが始まった。自分で足をもむことの意味とやり方をよりよく伝えるために研鑽を積み、技術の向上を図る。すでに各方面で活躍されている方々だが、もっと勉強したいと参加され、学ぶことの大切さを再確認されていた。ここからさらに確実に頼りにされる人材が育ってゆくことと思う。
 世の中がどんなに変わっても健康でさえあればなんとかなる。そのためにその方法を身につける。自分でできるやり方を学べば誰にも壊すことのできない、けして無くならない財産になることと思う。

2月8日
 
 ついこの間サッカーに沸いたのは束の間の夢だったのか、今度は相撲の八百長発覚だ。不祥事続きの相撲界とはいえ、相撲協会が無くなるかもしれないことになるとは予想もしなかった。場所中午後4時から始まる相撲中継を楽しみにしていた母が、もし今生きていたらどんなに嘆いたことだろう。全国にそんなお年寄りがたくさんいらっしゃるのではないだろうか。
 それに比べてアジアカップで活躍したサッカー選手、長友のイタリアの王者インテルへの移籍は明るいニュースだった。イタリア語の挨拶も好もしい。活躍しながら骨折で悔しい思いをしているであろう香川も今のふんばりが後でどう生きてくるかわからない。日々は流れてゆくけれど、どの試合も勝てるかどうかわからない死闘を決して諦めずに制した彼らの心の強さに勇気付けられたことを、忘れないでいたい。
 決勝戦の1月29日は官足法新年会が都内ホテルで開かれた日だ。今年は脳神経外科医の文隆雄先生の認知症についての講義と落語家と医師の二足のわらじを履く立川らく朝さんの健康トーク&落語。認知症の幽霊が出てくる話である。勉強会の部でも認知症予防に焦点を当てたもみ方の勉強もし、参加者は真剣に取り組んでいた。


1月15日

 朝早く家を出ると暗い中ジョギングをする人々が多いのに驚く。早起きの目標を立ててもなかなか実行できない身には尊敬することしきりである。
さて、新年早々また、内閣改造だという。もうそんな話題にも慣れっこだ。ある人が居酒屋でこんな話を耳にしたという。「20年間で14人も首相が変わる、そんな国は日本だけですよ。」中国人のビジネスマンだったそうだが、私も含めて日本人でその数字を言える人がどのくらいいるだろう。私は今の集合住宅に20年住んでいるが、お隣はせいぜい6,7家族入れ替わったくらいだ。14人も変わったら、名前を覚えるのも難しい。相談ごとなどとんでもない。世界で信頼を得る国になるにはまず我々がもう少し気を長く持たないといけないのかもしれない。
2011年は始まったばかり。まずは一年の計を一日でも長く持たせなくては…。


1月1日

明けましておめでとうございます。
お陰さまでまた新しい年を迎えることができました。
「足もみで健康を守ろう」という志を共にしてくれる指導員の方々、その皆さんを支えて下さる周囲の方々、足もみに興味を持ち実践して下さる皆さん、その皆さんを支えてくださる方々…同じ時代を共に生きる全ての人々がどこかで繋がってお世話になってこうしてお陰さまで新しい年を共に迎えることができたのだなぁ、と暮れの忙しさに縮こまった心を広げて思いを新たにする。
 日々の仕事や暮らしの中で足りなかった点は多々あるけれど、とにもかくにも一年を終えこの新しい年を迎えられたことを寿ごう。昨年は社会が閉塞感を増したという。が、その分個人レベルでは大切なものが見えても来たのかもしれない。クリスマスや暮れの商店の賑わいは家族を思う表れのようにも見えた。
 このような時代にあって官足法の「自分や家族の健康を自分で守る」という役割は、今後ますます必要とされるはずである。なぜ足をもむのか、どうやるのか、をわかりやすく伝え、必要としてくださる人々にお届けできるよう全力を尽くしたいと思う。どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
 皆様の健康が守られますよう、佳いことがたくさん起こりますよう、心よりお祈りします。


11月27日

 毎年この時期になると、ついこの間年始の挨拶をしたばかりのような気がして一年の早いことに驚く。歳を重ねるとだんだん時が経つのを早く感じるようになるというのは実感だ。
 が、歳のせいにしている多くのことは、意外とそうでもなかったりする。足もみを励行する人には年齢より若く見える人も多いが、老化と言われた骨密度が上がった、とか関節の痛みが改善した、などはよく聞く話だ。忘れっぽい、ということも根っからそういう性格の人もいることを考えると、あまり歳のせいだとクヨクヨしない方がいい。気にすればするほどそうなるということもある。そういう時もあるさ、と気を楽に持って自分を信じていよう。
 長くも短くも、これまでの年月を支えてくれた周囲の人々と自分自身に感謝して、これからの忙しい年末、どうぞご自愛下さい。


11月15日

 外を歩くと色鮮やかな落ち葉に目を奪われる。下を向いて歩くのもたまにはいいものだ。
 先日第27回官足法指導員養成講座があった。参加者は19歳から79歳までその差60年。若い方が多く、健康への関心の高さが伺える。皆、師・官有謀のスピリットを受け継ぎ、求める人に「自分で自分の健康を守る」足もみを伝えていってくれることを願う。指導員と認められるまでにはまだ課題をこなさなければいけないが、これからが楽しみだ。
 今年は七回忌にあたり、先生のお気に入りだった中華料理店で食事会が開かれた。若いときに大病をし自ら病を克服、成功を収めた後の人生を異国での人助けに生きたその生き様を思い、あらためて胸が熱くなる。


11月6日

秋もぐっと深まり、銀杏の黄色も鮮やかだ。先日は一日のうちに屋久島からはバナナがたわわに成っている、旭川からは湯タンポを入れている、とのお電話をいただいた。日本も広い。
10月23日の大阪勉強会は、ノリのいい関西の皆さんにこちらが乗せられたかのような楽しい勉強会になった。開催の労を取って下さった箕面市の浜崎ふく子さんご夫妻とその教室の皆さんのおかげで大盛況で、よくわかった。
またやってとの声もいただいた。さて、今日からは指導員養成講座。また頼もしい仲間が生まれる。

10月20日 

スーパーで「チリ産レモン」の表示を見て「ああ、あのチリの…」と手が伸びそうになる。チリ産ワインの購買量も上がったことだろう。南米チリの鉱山で生き埋めになったと思われていた33人から、地下のシェルターで全員無事とのメモが届けられたと聞いた時、あまりの奇跡に、感動に打ち震えた。69日間の地下での暮らしは生きた心地がしなかっただろう。全員無事に救出され、本当によかった。が、世界が一つになって33人に思いを寄せたのは何故なんだろう。世界には地下のシェルターと同じくらい絶望的な地上も、そこでもがいたり諦めたりしている人々も沢山いることをみんな知っているのに。考えてみたら33人もが絶望的な状況の中で希望を失わずにいる、その心の力に勇気づけられたからかもしれない。人間ってけっこうスゴイ、と久々に思わせてもらった快挙だった。

10月12日
キンモクセイの甘い香りがすると、子供のころの運動会の緊張を思い出す。出番が近づくとよくトイレに駆け込んでいた、そんなドキドキも懐かしい。
 今年の体育の日はほぼ全国的に晴天だったらしい。体を動かし、血流をよくして細胞のの隅々まで酸素と栄養を行き渡らせよう。
運動の後は足をもんで筋肉を柔らかく解しておくこともお忘れなく。



10月6日
 総武線東中野駅から西を眺めると、草生い茂る両側の土手に挟まれて真っ直ぐに線路が伸びている。晴れた日の朝と夕方、陽射しを浴びて光るレールがどこまでも伸びてゆくのを見るのは気持ちのいいものだ。ホームから身を乗り出して見るわけにもいかず満足するまで眺められないのが残念だ。
 線路やホームでの事故が後を絶たない。三歳の子供から線路を渡りきれなかったお年より、酔った人や酔った人にぶつかられた人…。その生身の人間とは隔絶した混んだ電車に揺られて人身事故のアナウンスに「またか」と思い遅延を呪う。どちらも浮かばれない。
 山手線新大久保駅で線路に落ちた人を救おうとして韓国人の青年が犠牲になってから何年経つだろう。異国でそんなふうに命を落とした人もいることを忘れないでいたい。
 ホームで歩きながらの携帯メールなど、本人は自覚なく周りから見ると危ないことはたくさんある。ついついやってしまうけれど、用心しなければ、と思う。



930

 雨の日も多くなり、すっかり秋らしくなった。暑すぎて夏に出そびれた蚊が今頃出てくるのも可笑しいが、来年に命を繋ぐためなのだろう。 

 さて、いろいろあったけれど綿々と繋いできた日中関係が近頃また揺らいでいる。日本人からすると理解に苦しむことが多い。

 中国は何を考えているのだろう…。

中国の人なら誰もが知っている昔話に「愚公移山」というのがある。愚公というおじいさんが家の前にある山をよそへ移そうと考えた。来る日も来る日も土を掬い働き続けるおじいさんを、通りがかりの賢いと自負するおじいさんが嗤うのである。「そんな出来もしないことを」と。愚公は慌てず騒がずこう言い放つ。「山はこれ以上大きくはならない。が、山を掘るのは自分が死んだら息子が、息子が死んだら孫が、孫が死んだらその子供が引き継ぐのだから、出来ないことがあろうか」と。

前回中国の温家宝首相が来日して鳩山前総理と首脳会談を行ったのは鳩山さんが総理辞任を発表する直前だった。中国に戻った温家宝は面子を潰された思いだったろう。日本には話をするべき相手がいない、というのが本音ではないだろうか。

今の日本の政治はころころ変わる。それに比べて数十年のスパンで国家の計画を立て、トップが交代しても引き継いでゆくのが中国だ。今の中国はその結果だし、未来の中国のために今の中国はたゆまず動いている。そんな国が隣にあることを忘れて身内の事情に明け暮れる。70年代以降、日本は国庫が傾くほどのODAで世界に貢献してきた。今、その日本が窮地に立っている。難しい問題ではあるが、本来なら日本擁護の国際世論が出てきてもおかしくないと思うのに、なぜか起こらない。何故だろうか。それは、日本国としてどんな貢献をしてきたかということを、日頃から各国民に知らせる努力を怠ってきたからだろう。

遅きに失した感が無いでもないが、これから在外公館が日本の道理を説明して回るという。何らかの効果が出ることを期待したい。



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 秋が来た。気温35度が普通になって、「今年はずっと夏か」と諦めていたところへ、やはり秋は来るものなのだ。人間諦めてはいかん。

 民主党の代表選挙も終わり、菅総理大臣の続投が決まった。日本のトップが目まぐるしく変わることも普通になり、「今年は誰が総理大臣なの?」と小学生が聞いたという話があったが、少なくともこれで「今年の秋は…」とだけは答えなくてもよさそうだ。

季節は巡る。今は様々な問題を抱え、いささか調子の悪い日本も、ずっと同じではないはず。明るい未来を願ったら、一人一人が今できる今日の一歩を歩くだけだ。

涼しくなったのでよく眠れるようになった人もいれば、夏の疲れがどっと出ている人もおられることだろう。できればあまり無理をせず、身体の調子を感じてみよう。



9月10日
 台風が来て厳しい暑さも去るか、と思いきや、そうでもないらしい。それでも季節は巡ってゆくのだから気長に待つことにしよう。昨日9月9日は重陽の節句だった。中国では旧暦のこの日、菊酒を飲んで邪気を祓い、長命を願うという。
 素直に長命を願える世の中ではないが、出来る限り自分で足をもんで健康を守りつつ元気に長生きするのは悪くない。人との関係が希薄になって、放置された親が戸籍上だけで生き残る、なんとも凄まじい時代だが、元気でいれば何かできる。依存するのではなく、誰かと繋がり、誰かに微笑むことができれば、もっとみんなが生きやすくなると思うのだが。
本来の重陽の節句までにはまだ間があるが、夏の疲れが出て体調を崩しやすい時期になってきた。風邪をひいてしまったりしないようご注意を。



8月27日
 残暑というにはあまりに暑い日が続いている。興南高校が春夏連覇で熱戦を制した甲子園もいつもの年以上に熱かった。特に準決勝では地元報徳学園が相手だというのにスタンドの多くの人々が興南高校を応援していたのではなかろうか。今年は特に基地のことで沖縄が関心を集めている。彼ら自身の素晴らしい戦いに感動しただけではない、沖縄の人々のために彼らの優勝を心から喜んでいる人が沢山いるようだ。
 さて、そろそろ食欲の秋へ、と行きたいところだが、海水の温度上昇でさんまの漁場が遠くなったとか。「目黒のさんま」は殿様が庶民の味を食する落語だが、今年はこれもまだ高値だ。
暑い暑いと言っているうちにクーラーにあたり冷たいものを飲み食いして身体が冷えてしまう。だるい、調子が悪い、という人はせめて屋内では暖かい飲み物を飲むようにしてはどうだろう。インドの人は熱くて甘いチャイ(ミルクティー)を飲む。故無きことではないだろう。



8月21日
 風が涼しくなって、暑さももう一息かと気を入れなおす。
この頃の日常の楽しみは朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」である。漫画家の水木しげる夫妻の話で、奥さんが書かれた本のテレビ化だが、これを通して戦後間も無い頃の日本人の生活や感情をはじめて知った人も多いと思う。私もその一人だ。
 今週は南方の島で戦争中に負傷した水木しげるさんの体験を通して戦争の惨さをリアルに伝えている。死ぬことが美化され、生きることが許されない戦争とは、いったい誰のための戦争だったのか。人が死ぬことを讃え、強制した人たちはどういう人たちだったのか…?今を生きている私たちに一年に一度来るこの季節。目を逸らさずに向き合う責任があると思う。



8月12日
 暑い暑いと言っているうちに暦の上では立秋を迎え、朝晩など風が涼しくなったのを感じる。空は濃い青を背景にした積乱雲から、青が薄まり、たなびく雲を多く見るようになった。蝉の亡き骸をあちこちで見かける。命の限り鳴き競った魂の抜け殻がもう何の未練も無く、軽く枯れてそこここに在る。
 人間の世界では生きていれば100歳以上のはずの多くの人が行方知らず。どんな人生を歩んできた方たちなのだろう。亡くなられているとすれば本人は未練もなく、満足して逝かれたのだろうか。野生の生き物のようにさっぱり死ぬのも一つだが、せめて見守ってくれる人の一人もいて命を終えられればいい。
 行雲流水、命は巡る自然の営み。その中で人は人らしく命を全うしたいと思う。


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テレビをつけたら津軽三味線を弾く千葉勝弘さんが映っていた。千葉さんは青森県黒石市在住の民謡歌手で、官足法の指導員でもある。高く低く力強い三味線の音は時を超え、異空間へと誘ってくれる。黒石市の古い町並み「こみせ通り」を紹介する番組でのこと。こみせ通りでは津軽民謡のライブをやっているそうだ。夏休みのひと時、足を運んで哀愁の津軽三味線に身を浸すのも良いかもしれない。



7月13日
 パウル君のタコ占いが最後まで当ってスペイン優勝で幕を閉じたワールドカップ。4年後も楽しみだ。チームワークの勝利を見せてくれた日本代表と違って、日本の政界はさて、この期に及んで足の引っ張り合いだ。参議院選挙の結果の衆参両院のねじれは今の与党に失望した国民の意思なのだから仕方がないが、次代にツケを廻さないで我々の世代で問題を解決するのだという意思を持ってほしい。未来に希望を持って今を乗り切る道筋を見出し、わかるように説明してほしい。いつまでも政党同士のいがみ合いでは、観客激減の大相撲のようになってしまうかも。ああ、4年後は如何に。


7月9日
 先日の日曜日、埼玉県春日部市で官足法勉強会が開かれた。導引養生功埼玉支部の神田廣美先生は官足法の指導員でもあり、官足法をやると気がよく通る、と熱心に皆さんに勧めて下さる。神田先生の呼びかけで実現したこの勉強会、皆さん真剣に取り組まれ、質問も多かった。普段から足をもんでいる方も、そうでない方も、足もみの良さを再確認していただけたようだ。


7月1日
 俄かサッカーファンをたくさん作ったであろう日本代表チームのワールドカップが終わった。頼りないと思っていた日本チームがよくがんばって決勝トーナメントに進出、強豪パラグアイに最後まで一歩も引かぬ展開で、負けはしたけれど日本人もまだまだやれるかも、と思わせてくれた。諦めなければ何が起こるかわからない、それは真実らしい。
ワールドカップはまだ終わっていない。チームがバラバラになって去って行ったフランスや世代交代のイングランドなど、残念なこともあったが、アルゼンチンやガーナなど楽しみなチーム、個性的な選手の活躍を、今度は純粋に楽しんで見てみようと思う。



6月16日
7年の旅を終えた探査機はやぶさが地球に帰還した。打ち上げ直後からエンジンの不調がわかったり、小惑星イトカワに着陸直後に通信が途絶えたり、復旧後も相次ぐエンジンの故障に見舞われたが、その都度チームが智恵を絞ってピンチを乗り越え、奇跡的な帰還を果したのだ。カプセルが回収され、イトカワの砂が入っていれば言うことは無いが、そうでなくてもこの旅には大きな意義があるという。史上初めての技術を幾つも試み、困難を乗り越えてすべて成功させてきたからだ。
ワールドカップが始まり、昨日は日本がカメルーンと戦い、なんと勝った!しかしベスト4だの優勝だのと夢物語はゆっくりでいい。まずは今の実力をしっかりと発揮して、一戦一戦大切に戦ってほしい。勿論勝ち続けてもらいたいし、勝負なのだから勝つことこそが大切だ。けれど、世界中の精鋭が国民の期待を背負って全力でぶつかり合うのだ。日本チームがここで何を学んでくれるのか、大きな心で見守りたい。「はやぶさ」のように未来に繋がる問題を見つけて一つ一つ乗り越えていくことに大きな意味があるのだから。
それにしても何が起こるかわからない。諦めず、夢を捨てずにいれば何か素晴らしいことが起こるのかもしれないと思わずにはいられない。頑張っている人たちが私たちに夢を見せてくれること、その夢が私たち大人ばかりでなく、未来を担う子供たちを励ましてくれること、そのことに深く感謝を捧げたい。


6月9日
 新しい総理が誕生し、新しい内閣が出来た。といっても清新の気は無い。またか、と思いつつ、眺めやるばかりである。
鳩山政権は政権交代の興奮から坂を転がるように支持率が落ちていったが、今度は低いところからの出発。後は上がるのみ、となればいいのだが、さて、どうなるか。一国の総理として鳩山さんの言葉はあまりに軽かったが、ここに至るにはメディア側の無責任な揶揄や批判もあった。これを問題視する発言が取り上げられるようになったのは、最近の少しいいことではないだろうか。私たち国民も表面的な情報に振り回されずにじっくりと見極める目と心を持ちたいものである。

5月20日
 春の天候不順などなかったかのように、初夏の陽射しが眩しくなった。道端で香るジャスミンにも癒される。
 こんな佳い季節ではあるが、口蹄疫で大揺れだ。今は宮崎県が大変だが、周りの県も戦々恐々、いつ飛び火するかと心配している。これ以上被害が拡がらないように、牛を大量に"処分"するという案もでているそうだ。
 "処分"というとそうか、と思うが、病気になっていない牛も含めて殺されるのだ。大切に育ててきた農家にとって断腸の思いだろうし、またそれ以上にこれからの生活を思い不安だろう。被害が大きくならないうちにこの災禍が過ぎ去ってほしいと思う。
それにしてもあの黒々と憂いを含んだつぶらな瞳の牛たちが病気でなくても殺されるのを"処分"というのはどうだろう。「虐殺」と言わないまでももっと適切な言い方はないだろうか。無実の牛を"処分"する、の言葉に、こんなときこそ彼らの命をいただいて生きていることを噛みしめたいと思うのである。



5月12日
 先日ウィーンから国際電話をいただいた。

お友達から当事務所の電話番号を聞いた、と。外国で病気になる心細さはいかほどだろう。パソコンは苦手と仰るので電話でやり方をご説明したが、健康を守るため自分でできることは沢山あるので、是非諦めず取り組んでいただきたいと思う。
 新緑眩しい連休の一日、松本での勉強会には大勢の方々が来て下さった。足もみは一度習ったくらいでもそれなりに結果が出るのだが、奥が深いものだ。足もみをご自分でやってはいてもあまりパッとせず、まぁこんなものかなぁ、と思っていらっしゃる方には、機会を見つけて再度体験してみていただきたいと思う。
松本にも来て下さったKさんから葉書が届いた。ご自身の足のむくみが引いてきたそうだ。高齢の身で家族の足ももんでいるのだから大変に違いないのだが、明るく、希望を持ってご自分の経験を伝えながら病気のご家族を看ていらっしゃる、その慈愛に触れて私たちの心も温もり、励まされたのである。


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 春をそぞろに飛び越えて一気に初夏のような陽気である。官事務所の行事も、先日の指導員養成講座を終えて、今日は信州松本での甲信地域勉強会が開催される。

指導員養成講座も今回は長野の方が多かった。中でも最年長のKさんは80歳。杖無しでは立っているのもつらいほどだったが、これからのご自分のため、病める家族のために参加され、熱心に勉強される姿には頭が下がった。

3日間じっくり取り組むうち、杖を忘れてさっさと歩かれることもしばしば。今日の勉強会にも参加されるそうで、またお会いできるのが楽しみだ。

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 異常気象で野菜の高騰が続いている。アイスランドの噴火による飛行機の欠航も各方面で被害甚大だった。こんなとき人間は自然の脅威の前に為すすべもない、小さな自然の一部であることを気付かされる。

山々に、人が通る小径も無いような斜面に小さな祠や鳥居を見つけることがある。そこは人と自然を結ぶところなのだろう。

山田洋二監督が「役者が自信満々の時は使えない。何か自信が無く、思い悩んでいるような時こそいい。」と言っている。人間も自然の前で自信満々でいるよりは、自然の前に頭を垂れている方が地球にとって使えるのかもしれない。




4月16日

桜前線が北上し関東は葉桜になった。満開の桜の陰で凍てつく月に白い輪郭を光らせていたハナミズキの蕾もその柔らかな初々しい花を開き、季節は確実にうつろってゆく。

 先日NHKが「無縁社会」という番組を放映し、大きな反響を呼んだ。ごく普通の人々が土地や人との繋がりを無くし孤独死する実態。故郷の家族に迷惑や心配をかけたくないという若者が陥ってゆく孤独。どれも他人事ではない。

 解決策も提示されていた。自分からコミュニティに参加してゆくこと。はじめは恐る恐る、面倒はイヤだなと及び腰だったりするのだが、他人と一緒に作業したり話したりするうちに楽しく、こころ強くなってくるようだ。人という字は支えあっている、とよく言われるが、繋がりを求めるのが人間だ。たこ八郎さんの「迷惑かけて有難う」はけだし至言である。

 ある人に寂しい時のツボはどこかと聞かれた。私なりにお答えしたい。

 目を瞑り、呼吸を深くし、今日会った一人一人を思い出し、声に出して「有難うございます」と言ってみる。次にこれまでの人生で関ってくれた人々や親兄弟にも。内観と言われる広く知られた方法だが、寂しい時ほど効果的なオススメのツボである。



4月7日
 窓を開けると行き交う車の音、電車の通る音、工事をする人たちのかけ合う声がなんとはなしにのんびりと聞こえてくる。春は音まで聞こえ方が違うようだ。
ところで唐代の人、孟浩然の有名な詩の一節に「春眠暁を覚えず」というのがある。春は眠くてしょうがない、という意味で使われているが、実は眠りが浅くてなかなか朝が来ない、というのが本来の意らしい。だから夜来風雨の声を聞き、花がどれだけ落ちたかを知っているのだと。
東京の桜もあとは散ってゆくのを惜しむのみ。せめて夜更かしをして花の散る音に耳を澄ませてみようか。

4月2日
 1日、東京では夜からゴオッという唸りを上げて強風が吹き荒れた。朝になっても一部の路線では電車が徐行運転で数珠繋ぎとなり、一駅進んでは止まるほど。先日来の寒波を衝いて漸く満開となった桜が大きな枝をワッサワッサと揺らしている。せっかくようやっと咲いたものを無情な風よ、と思ったが、どっこい花は散らない。咲いたばかりの花の勢いは風に負けない。若い力とはこういうことか、と思う。
 4月になって新しい一歩を踏み出した人の中には必ずしも希望通りの出発ではない人もいよう。志望校に行けなかったとか、希望する就職ができなかった、とか。むしろ数から言えば思い通りにゆかない人の方が多いのではないか。苦しかったり、不安だったり、「若い人はいいわね。」などと言われるとどこがいいものか、と思うものである。それでもやはり、若い時というのはお金で買えない財産だ。その財産を存分に使ってほしい。何もほしくない、どこにも行きたくないという若者達を悟り世代というそうで、なるほど彼らは賢い。が、若いうちに賢くまとまらなくてもいいのではないか。いろんな経験をして、想像できないこともたくさんあることを知ってゆく中で自分を豊かにし、自分自身を知るのではないか。その強さは人に本来自然に備わっているのではないかと、風の中で思った。

3月31日
 寒波を経て桜が咲き出した。アメリカでは歴代民主党政権の悲願だった医療保険制度改革法案が成立した。オバマ大統領もさぞかしホッとしていることだろう。大統領就任演説で「チェンジ」の言葉を封印し、国民一人一人の責任と協力を説いた。ノリのいい言葉ではないが、それこそが「チェンジ」するということ、一人一人の自己改革なくして本当の変革はあり得ないということなのだろう。まだまだ根強い反対はあるようだが、ひとまずこれで普通の国民が安心して暮らせる基礎が出来たのではないだろうか。アメリカにはアメリカの成功哲学があろうが、我々東洋の思想で言えば陽には陰が、光には影がつきもの、勝者の陰には敗者がいるものだ。不幸にして運に恵まれなかった人たちにも安心して生きる権利がある。
  政権交代を見守る国民の忍耐も失望に変わりつつある日本だが、基本的に誰でも安心して医療を受けられる国なのだ。その上でもし自分で足をもんで自己治癒力を高め、一人一人の医療費が削減できたら、借金に悩む国庫にとっても、その重い負担を引き継ぐ子供たちにとってもなおいいと思うのだが…。


官事務所の小窓

2月6日

 2月のある日、「長生きしてもいいことあるの」と題した投稿が新聞に出ていた。45歳の会社員からのものだった。日本は世界でもまれな長寿国であり、医療も発展している。その根底には「長生きは良いことだ」という考えがある、しかし、今後まともな退職金はもらえそうにないし、年金も60歳からもらえない。ということは働くことになるが、収入は推して知るべし。おまけにどんなに医療が進んでも「老い」はやって来るし、慢性的な病気と闘わなければならない。まさにワーキングプアに突入することになる。「悠々自適」など死語になり、いたずらに寿命を延ばすことがいいのか、と結んでいる。
 確かに日本の現状をみると、明るい未来を見出すことは難しい。今現在働き盛りの人にとっては老後のことを考えると暗澹たる気持ちになるだろう。どんなに「備え」をしようと思っても、できることは限られているからだ。
今、国会では「社会保障と税の一体改革」が議論されようとしているが、与野党とも真面目に取り組んでいるようには見えない。このような現状を見るにつけ、働き盛りの人には絶望にも似た感情が湧いてくるのもうなずける。(幹)


 新しい年が明けました。年末年始は交通機関もそれなりに込み合っていたし、デパートなども福袋を買い求める人で賑わっていました。テレビの街頭インタビューでは昨年の震災を念頭に「今年はいい年にしたい」と願望を込めて語っている人が多いようでした。当然のことでしょう。しかし、自然災害とは別な意味で激動の一年になるのではないかという評論も少なくありません。政治の世界では野田首相が消費税増税を不退転の決意で決めると言っていますし、経済の面では相変わらず円高が続いており輸出産業は危機感を募らせ、景気の底割れも懸念されているほどです。世界的には昨年から続く欧州の金融危機がさらに広がり、その影響で世界同時不況に陥る危険性があるという評論家もいます。また、今年はアメリカをはじめいくつかの主だった国でリーダーの選挙があり、その結果次第では状況が大きく変わるとも言われています。
 そんなわけで「いい年」にしたいのはヤマヤマですが、決して楽観できる状況でもなさそうです。個人の力ではほとんど何もできそうにありませんが、健康管理なら出来ます。足をもんで自分も家族も元気で過ごせるようにしたいものです。(幹)


2012年1月1日

 明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年からタイトルを一新しました。よろしくお付き合い下さい。
さて、辰年というと思い出すのは昨年来日されたブータン国王が被災地の小学校で語った言葉、「私は龍を見たことがあります。龍は経験を食べて人の心に育つもの。皆さんも経験を糧として大きな龍を育てて下さい。」と。幸福の国ブータンの王様は優しくて力強い励ましを子供たちに与えてくれた。
天高く上がる凧にも龍の字が付き物だけれど、大きく育って伸びやかに天を駆ける龍のようになったらいい。

12月28日

 暮れも押し詰まり、何かと気ぜわしいような、半分諦め気分もあるような日々である。残業ついでに気になっていた近所のラーメン店に行ってみた。確か「頑固ラーメン」という店だったが、先日その辺りを通った時、目の端にラーメンすなおと映ったのだ。まさかね、と思いながら、気のせいとやり過ごしていたが、どうも気になる。今年一年にやり残しがないように確かめてみることにした。以下、写真。
…店主が変わったのだそうだ。頑固もいいが、素直がいいよ、ということらしい。頑固ラーメンはきっと、こだわりの味を追求するという意味なのだろうから文句は無いが、日常には素直がいい。素直に言葉を出す。これが案外難しい。人に対して無垢な信頼を持っていて始めてできることかもしれない。でも、恐れることにも利は無い。笑顔には笑顔が、信頼には信頼が返ってくることを、理屈では無く実践で分かるべきなのだろう。もう私たちは…。
さて、今年は大きな災害に見舞われた年でしたが、官足法を支持して下さる皆様のお陰をもって無事年越しを迎えられそうです。本当に有難うございます。どうか、悲しみに慰めがありますことを。労苦と喜びが来年に繋がり、大きな実を結びますよう。そして、健康でありますよう、心よりお祈り申し上げます。


12月10日

 早いものであと20日ばかりでもう新しい年になる。今年は震災をはじめ、大きな災害が多い年だった。
 先月の官足法指導員養成講座でも、宮城県から見えた参加者がいる。内陸の方だったが震災当時の様子を聞くにつれ、報道されていない数多くの戦慄すべき事実があるのだと思った。先日電話でお話ししたら、少しでもみんなを元気づけようと始めた足もみサークルが今では17人になったという。家にこもりがちなお年寄りが一人増え、二人増え、と徐々にではあるが、広がっているらしい。そこで彼女の穏やかな笑顔がみんなを和ませ、触れ合うことで心を開いてくれる人たちが、また彼女を励ましているであろうことを想うと、なんだか胸が熱くなるのだ。
 絆という言葉が息を吹き返した今年、人と人との心の通い合いこそが幸せと、あらためて思うのである。


11月19日

 街にクリスマスソングが聞こえてくるこの時期は、喪中はがきの季節でもある。いつしか、訃報を聞くことが多くなったのはそれだけ長く生きてきたということか。
いろいろな逝き方があるが、時も含めて自分で決めていったのではないかと思うことも多い。遠く離れた家族が集まれる時に亡くなる人や、後で考えればその時期が本人にも周りにもよかったのかもしれないと思える人もいる。
そうは言っても、胸が張り裂けるような別れを繰り返して私たちは生きている。もっと生きていて欲しかった、それが掛値無しの本当の気持ちだ。ましてや災害で大切な人を亡くした人々にとってその喪失感はいかばかりか…。
 誰しも死なない訳にはいかないのだが、せめて生きている間その人らしく生きられるように応援するのが私たち官足法に関わる者の生き甲斐だ。最後まで大好きな煙草を離さなかった官有謀先生もフフンと笑っていてくれようか。8回目の命日に寄せて…。
合掌


10月22日

震災後の世の中に慣れてきた。(多少!?)汚染が心配される食べ物や空気、水も、摂りつつ生きていくのだと。円高還元の無い円高にも慣れ、状況に気持ちが慣れてきたら節電も元に戻りつつある。冬になったらまた必要に応じてせっせと励むことになるだろうが。
「慣れる」とは違和感を覚えなくなることだそうだ。ずっと緊張しているのは大変だから一種の防衛反応なのだろう。
「初心忘れるべからず」は「慣れる」ことを戒めた言葉だ。最初の気持ちをずっと持ち続けることの難しさ。子供がオギャアと生まれた時の喜びと感謝をずっと持ち続けられたら、親子喧嘩はぐっと減るだろう。
夏が過ぎ、秋が来て、冬になる。変化に応じて慣れなければいけないこと、忘れるからいいことはあるけれど、ふと立ち止まり違和感を確認することは流されて生きていかないために大事なことかもしれない。慣れなきゃしょうがない、というのは努力しない言い訳になることもあるから。自戒を込めてそう思う。


9月7日

 各地で甚大な被害が出た先週末の台風、またも多くの犠牲が出、多くの方が被災された。不幸にして亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災地の一日も早い復興を願う。
この週末、八戸は晴天だった。3月11日の津波で大きな被害を受けた埠頭では土日の朝市が開かれ、日も上がらぬ前から大勢の人で賑わう。あの日大きな船がゴロゴロと道に上がっていたという名残は今は無い。水に浸かった爪痕はあるけれど、きれいに片付けられた町で、人々は元気に働いている。
日曜日に開かれた官足法八戸講習会には地元の官足法指導員を中心に会場いっぱいの参加者が集い、熱心に講義を聞き、実技に取り組んだ。強くもむのが官足法の特徴だが、初めはおそるおそるの方が、納得するにしたがって真剣に取り組む様はこちらの方が頭が下がる。やると言ったらやり抜く東北人の意志の強さをあらためて感じた。
「復興」は今や文字通り九州から東北まで日本全土のキーワードだ。新しい内閣が長続きして復興を進めてくれることを、八戸のように七転八起の町があちこちにできることを願って止まない。


8月12日

 円高が続いている。輸出産業は大変だが、こういう時にはこういう時で、高い円で相対的に安くなった世界の資源を買っておくとか、元手があれば、やりようはあるらしい。
 それにしても、何年も前からドルが危ないと言われていたが、アメリカ国債の格下げでついに現実のものとなり、ここに至って金利も下げるという。日本が辿った超低金利政策は、お金を借りるにはいいが、貯金をしても増えない、消費意欲の湧かない、デフレスパイラルへの道だった。この出口のない道をアメリカのみならず、欧州でもイタリアなどが追随しそうだという。
 他に方法が無いのだろうか。もしそうだとしたら、資本主義は行き場のない袋小路だ。社会主義も高速鉄道の事故車両を埋めて隠蔽しようとするくらいだから、システムとして難しいのだろう。好調な発展を続けているかに見えるロシアもシベリアの開発で凍土が融け環境破壊が深刻だ。
こうなったら下り坂に身を任せ、地球資源の浪費や環境破壊をできるだけせずに、モッタイナイの精神で知恵を絞り力を合わせて、なるべくゆるやかに坂を下り平地にたどり着くというのはできないか…。関東の方は節電で実績があるが、他のことでもなるべく節約し、江戸時代の人々のように限られた資源を無駄なく使う。発展と消費が美徳だった資本主義の考え方を大きく転換し、新しい価値を模索するのに、もう待ったなしの時代を私たちは生きているように思えてならない。


8月4日

 問1.「○肉○食」の○の中に当てはまる漢字を入れよ。
とあったら、あなたはどんな漢字を入れますか?ある生徒が「焼肉定食」と答えたそうだ。勿論出題者の意図する答は「弱肉強食」である。
 では、問2.人生の上り坂とは?
ある人が答えた。「上り坂は仕事も順調でだんだん出世して、どんどんお金が稼げる時でしょう。」
じゃあ、問3.人生の下り坂とは?
「そりゃあ、仕事でつまづいたりとか、病気をしたりとか、いろんなことが上手く行かなくて、もう人生こんなものかなぁ、なんて、夢も希望もなくなっちゃったりしてだんだんと歳を取ってゆくような感じ…。」
 ここで出題者曰く「えー?そうなの?下り坂ってさ、肩肘張って頑張らなくてもスーッと下りていけちゃう楽な時。上り坂は汗水垂らして頑張って頑張ってやっと上っていける大変なとき、なんじゃ?」
 正解は今のあなたが決めて下さい。


7月20日

 なでしこジャパンがワールドカップ優勝を成し遂げた。決勝戦は気負いの無い、高い集中力で、逆転に次ぐ逆転。試合を楽しむ、ということは正にこういうことなのだ、と思った。
試合後、選手の肩に東北のみなさんに宛てたメッセージ入り日章旗があった。被災者の方々の頑張りが選手の背中を押し、選手の活躍がまた我々の力になる。バトンを受け取ったらあの集中力を見習いたい。心配せず、後悔せず、ただ、今できることをやる。
いきなり上手くはできないが、目指していたらできるようになる気がする。なでしこたちの30年の歩みのように。


7月7日

 七夕というのに西からの雨雲で、東京では星は見えなさそうだ。短冊に書いた願い事は、それでもきっと届くだろう。雲の向こうはいつだって晴天なのだから。
 先日震災後に地域のラジオ局を立ち上げた若者たちをテレビが報じていた。被災者でもある彼らが自分たちの被災体験を伝えながら地元の方と交流し、拙いながらも思いを大切に届けていた。
 一方では復興を担う大臣の、人としての品性を疑われる言葉と態度。頑張ろうという思いはあったにせよ、あまりにお粗末だった。
 こんな時だからこそ言葉を大切にしよう、とどこかの大学の先生が言っていた。本当にそうだ。以前官足法の新年会で講演していただいた五日市剛先生も「ありがとうは魔法の言葉」と教えて下さった。官足法ニュースの一画でコラムを担当し、官足法指導員養成講座、続・養成講座の講師でもある岡山至氏も斎藤一人さんや様々な人々の言葉を紹介し、自ら実践されている。即ち、心配事や悪口を言わず、感謝の言葉などの幸せ言葉を言うこと、これだけで氏の周りでは良いことが次々起こるという人がいるのだ。
 旧約聖書にもあるではないか。「はじめに言葉ありき」と。私たちは言葉によって元気になれる。人間は得だ。そんな言葉を使っていかなくちゃ、もったいないというものだ。

6月14日

人間の寿命を延ばし老化を遅らせるのは簡単なことらしい。また足もみか、って?いやそれもそうですが、、バランスの取れた腹七分目の食事をすることだそうだ。我が官足法ニュースに文章を寄せて下さっている脳外科医、文ニューロクリニック院長の文隆雄先生も常々「腹七分」を唱えていらっしゃる。NHKテレビでは老化を抑える遺伝子の働きを紹介し、これを働かせるには軽い飢餓状態を作るのがいいのだと伝えていた。生物の歴史の中で種の保存のために仕組まれたものではないか、とも。 だとしたら神様は粋なことをなさる。飢えという切羽詰った状態に若さを保ち長寿になれる鍵があるなんて。他の生物の生命を大切にし、食物を分かち合う、足るを知る生き方こそが自分自身も元気でいられる生活だと教えてくれているようだ。 限りある地球の生命や資源を使い込んで人間は生きていることを、私たちはこの震災で実感として知った。食べる楽しみは捨て難いが、腹七分を目指せば、多少食糧が少なくなっても争って買いだめに走ることもないかもしれない。足をもんでも老廃物が少ないのであまり痛くない筈だ。「ちょっと足りない」を余裕を持って楽しめば、私たちは互いを思い合って、もっとよい社会を作ってさえ行けるのかもしれない。

5月31日

 5月のうちに梅雨入りするとは思わなかった。想定外だらけのご時勢だから、お天気も付き合いがいい。
想像できても関係者が敢えて想定しなかった原発の事故はしかし、いつ収束するのだろう。一日も早い解決を祈ってやまない。
先日指導員のためのサポートプログラム、続・養成講座の中で第三回担当の講師、食養のプロでもある滝澤利伊さんが玄米の効用を伝えてくれた。日本の伝統食ははからずも抗放射能食だったのだ。
玄米食を食べ、足をもみ、運動をし、モリモリと生きていこう。元気は元々私たちみんなが自前で持っている氣なのだから、こんな時くらい使わなくちゃもったいないというものだ。


5月13日
 今日から第28回指導員養成講座が始まった。東北から九州まで、定員を上回る講座は熱気に溢れている。岩手県の方、福島県からの方も、みんな元気だ。官足法ニュース5月号の、東京の官足法指導員宗像波子さんがボランティアに行かれた記事を見て、「被災者の方々を指1本で元気にしてあげられるって素敵だと思いました。」と参加された福岡県の方もいる。官足法指導員は一人一人が自分で実践できるように指導する。一人ひとりの力は小さいかもしれないけれど、若い力がこうして全国から集まってくれたことを心から有難いと思う。


4月22日

 春というのに東京ではこの2、3日季節が足踏みしているかのような寒い日が続いている。膨らんだツツジの可憐な蕾が首をすくめてまだかまだかと咲く時期を待っているようである。
 東北では桜の時期。テレビでは瓦礫撤去に働き始めた方が「桜が満開なのに自分が何もしないわけにはいかない。人間は働かなくちゃ。」と仰っていた。ごくごく自然にそう言われるその方の言葉に人間も自然の一部と納得する。けれど、働きたくても働き場のない人もまた多いだろう。新学期が始まり様々なことが動き出す中で取り残されたように感じている人たちもいるかもしれない。それでも、時は命ある限り一人ひとりに平等に与えられる。私たちはそれぞれの春を持っているのではないかと思う。
今が準備の時なら春を待つ草木のように、怠りなく準備していよう。身体を大切にして思いを大切にして、強く願って信じていよう。春が巡ってくることは必然なのだから。


4月14日

 今年も桜の季節が過ぎ行こうとしています。「一期一会」という言葉が胸に沁みるのは、また一つ歳を重ねたせいか、震災のせいでしょうか。
 10日、満開の桜の中、静かな瀬戸内の海を見下ろす地で官足法岡山講習会が開かれました。3年前の当地での講習会以来、岡山の官足法指導員湯口幸恵さんらが中心となって毎月勉強会を開いている成果が実り、この日も多くの地元の方々が見えられました。山口、島根、広島など遠方からも参加して下さり有難うございました。
 講習会では官足法に興味を持って下さった方々との新たな出会いに教えられ、励まされます。また官足法の指導員の皆さんとの再会も楽しみの一つです。それぞれに苦しい時期を経て、自分で足をもんで身体の不調を克服してきた皆さんの温かさにいつも支えられていることをあらためて実感しました。


4月5日

 東日本大震災への相次ぐ寄付が話題になっている。今年の賞金の全てを寄付するという石川遼君。被災者の方に思いはきっと届いただろう。100億円の寄付、と言えば長者番付日本一のソフトバンク孫社長だ。個人の総資産が6000億円を超えるそうだからなんともピンとこないが。
台湾でも寄付が100億円集まり、まだ増え続けているという。この中には一社で10億円出した企業もあるが、殆どは一般の人々からのものだ。日本の6分の1の人口で、経済もけして良くはないのに、この数字は日本人と勝るとも劣らぬ寄付をしてくれているということなのだ。台湾に眠る我が官有謀先生もさぞや鼻を高くしていることだろう。
なにはともあれ世界中の人が心配してくれているのだと思う。この温かな心に日本がいつか報いて、世界はもっともっと仲良くなってゆく、そうなったらいい。


4月1日

 3月は別れの月、4月は始まりの月、そのことが今年ほど身に沁みることはなかった。あまりにも多くの別れ…。人間の思いを遥かに超えた自然の猛威に日本列島が、世界が震撼した。今も続く原発の脅威。人間が予想を立てて綿密に計算したものは何だったのだろう。多くの人が様々な予定変更を余儀なくされている。人の計らいのなんと無力なこと。それでも今日のこの日常を生きたいと願う。
 計画停電実施中の東京電力管内では皆が節電を心がけるようになった。NHKのクローズアップ現代で紹介していたが、アニメ、エヴァンゲリオンの中で日本中の電気を消して電力を集め強力な砲弾を作った「ヤシマ作戦」にちなんで若い人たちもヤシマ作戦を合言葉に節電を呼びかけているという。一人一人が心がけることで停電を回避する大きな力になるのだ。
 一人一人ができることは小さなことだけれど、集まれば強い力を発揮することを知った意味は大きい。半身に深い傷を負った日本だけれど、今から始まる未来はそう捨てたものではないかもしれない。


3月23日

  映画「メゾン・ド・ヒミコ」、NHKドラマ「火の魚」などで知られる脚本家の渡辺あやさんは16年前阪神淡路大震災を経験されたそうだ。21日付け神奈川新聞意見提言欄に、彼女が書かれたことを以下抜粋して紹介したい。
――(前略)直接の被害者ではない私たちにできる最低限のことは、まず事態の対応に追われている方々を「安易に責めない」ということだと思います。(中略)まずは「感謝」ということが何より大切だと思います。つとめて「ありがたい」と思うこと、あるいは相手にそう伝えることは、単に倫理や道徳的な意味をはるかに超え、状況を、そして混乱の中にいる私たち自身の心と体を助けるのにもっとも効果的な方法です。「怒る」あるいは「責める」ことで何かが改善するようには決して私たちはできていない。本当に有益なのは「感謝する」ことだと思います。――
 ドキッ。TVを見ては何かと言いたくなる我が身を振り返る。
 渡辺さんは続けてこう言う。「とにかく足元を温めて」と。「足元を温めると体と心は非常に安定する」と。「足が温かい」という状態は、それだけでかなり心を楽にしてくれます。続けると風邪をひきませんし、体調も想像以上に改善されていきます、と。
 暖かい靴下などを履くようにとの勧めで文は締めくくられているが、足湯や、それが無くても足もみがオススメだ。しっかり足をもんだときの内からポカポカの温かさ、グッズが無ければ自分の手でもむだけでもいい。「感謝」で心を温かくし、足元も温かくしたら、今日を笑顔で過ごせそうな気がする。


3月19日

 ふと気がつくと毎日使っている階段の横に小さなコブシの花が咲いていた。細い枝に白い蕾をいっぱいにつけて、ひとつふたつとまるで生まれたばかりの赤ちゃんが小さな手を開くように花びらを伸ばしている。
 3月11日の前と後で、世界は変わってしまった。津波と原発、避難所の人々の涙と笑顔…。大切なものを失ってなお朝が来てまた夜になるこの日々を生き残った人たちは劣悪な環境に耐えて過ごしている。自らを励ましつつ。
 自分だったらあんなふうに笑顔を見せられるだろうか?「有難い」「幸せ」と、あんなふうに言えるだろうか?被災してなお相手に向けるやさしさが、胸を打つ。
 ついこの間まで無縁社会を嘆いていた日本のあちこちで、声を上げ手を差し伸べようとしている人がいる。相身互い、助けてと言い、助けたいと言おう。生きて在る者同士。いつか時が過ぎてもこのことを心に深く刻んで、握っていたコブシを開いて、手を繋いでいこう。


3月12日

 未曾有の惨事が起こった。太平洋沖地震をはじめ、各地で強い地震が同日に起こるという事態。特に東北地方の被害は甚大だ。亡くなった方、行方不明の方は12日朝現在で1000人を超すというからこれからどれだけの被害が明らかになってゆくのか…。ご冥福をお祈りし、一日も早い復興を心より祈念申し上げる。
 東京でも強い揺れがあり、出先の葛飾区から中野区の事務所に引き返した。バスと順次再開した地下鉄と私鉄を乗り継いで、8時間。携帯のワンセグで情報を取ったり、地図を廻し読みしたり、メールや電話で得た情報を共有したり、バスの中では知らない人同士が助け合った。
 東北地方の方たちは忍耐強く、どんな状況も静かに受け容れ、暖かく助け合うというイメージが私にはある。そんな人たちの苦境をみんなで支えていけたらいい。


3月7日

 また外相交代とは…。足の引っ張り合いも大概にしてもらいたい、と殆どの国民は思っているはずと感じるが、当の政治家たちは思わないらしい。東京は雪。こんな雪の中でも土に根を張って水を吸い上げ、固い蕾の中で花びらの準備怠り無い、まだ見ぬ今年の櫻を思う。自然の営みは何があっても営々と続く。ニュージーランドの地震で、何もかもなくなった瓦礫の下にもまた草が生え花が咲くことだろう。草や木、その種は生きることが仕事で、ただ、ただ、生きている。今を。その結果として芽吹きの春を迎えるのだ。「明日を思い煩うこと無かれ」という聖書の言葉は慰めでなく、生きる本質を言ったものかもしれない。日本の未来には不安を禁じえないけれど、人間はまた自然の営みの一部として、ただひたすらに今を繋いでゆくことができるのだ。

3月1日

 もうすぐ雛祭り。雛あられに桃の花、甘酒の愉しみもあれ、やがて春。
 春、といえば「サクラ咲く」だが、大学の入学試験問題がネットで回答される時代になったとは、いやはやびっくりである。回答した方は今頃どんな気持ちだろう。同情するに余りある。
 目の前のことで焦ったり、不安になったり、大間違いなことをしでかしたり、人間だからいろいろやる。当人たちは周りの期待になんとか応えようとしたのかもしれない。ただ便利だからやったのかもしれない。これまで目標に向ってそれなりに努力してきたのだろうに、もったいないことだ。
上手くいかないときも、後になってみると大きな意味があると思えることもある。自分を大切にしてもらいたい。いずれにしろこれから綺麗なサクラがたくさん咲くことだろう。


2月23日

 中東の情勢から目が離せない。これまでの世の中が大きく変わってゆく転換点に私たちは歴史の証人として立っているのかもしれない。世界中の様々な場所で、人々の心の中で既成の価値が崩れ、新しい価値が生み出されてゆく。変化こそが常なるものとは言え、そのスピードの速さに驚く。
 さて、20日には新しく官足法指導員のためのサポートプログラムが始まった。自分で足をもむことの意味とやり方をよりよく伝えるために研鑽を積み、技術の向上を図る。すでに各方面で活躍されている方々だが、もっと勉強したいと参加され、学ぶことの大切さを再確認されていた。ここからさらに確実に頼りにされる人材が育ってゆくことと思う。
 世の中がどんなに変わっても健康でさえあればなんとかなる。そのためにその方法を身につける。自分でできるやり方を学べば誰にも壊すことのできない、けして無くならない財産になることと思う。

2月8日
 
 ついこの間サッカーに沸いたのは束の間の夢だったのか、今度は相撲の八百長発覚だ。不祥事続きの相撲界とはいえ、相撲協会が無くなるかもしれないことになるとは予想もしなかった。場所中午後4時から始まる相撲中継を楽しみにしていた母が、もし今生きていたらどんなに嘆いたことだろう。全国にそんなお年寄りがたくさんいらっしゃるのではないだろうか。
 それに比べてアジアカップで活躍したサッカー選手、長友のイタリアの王者インテルへの移籍は明るいニュースだった。イタリア語の挨拶も好もしい。活躍しながら骨折で悔しい思いをしているであろう香川も今のふんばりが後でどう生きてくるかわからない。日々は流れてゆくけれど、どの試合も勝てるかどうかわからない死闘を決して諦めずに制した彼らの心の強さに勇気付けられたことを、忘れないでいたい。
 決勝戦の1月29日は官足法新年会が都内ホテルで開かれた日だ。今年は脳神経外科医の文隆雄先生の認知症についての講義と落語家と医師の二足のわらじを履く立川らく朝さんの健康トーク&落語。認知症の幽霊が出てくる話である。勉強会の部でも認知症予防に焦点を当てたもみ方の勉強もし、参加者は真剣に取り組んでいた。


1月15日

 朝早く家を出ると暗い中ジョギングをする人々が多いのに驚く。早起きの目標を立ててもなかなか実行できない身には尊敬することしきりである。
さて、新年早々また、内閣改造だという。もうそんな話題にも慣れっこだ。ある人が居酒屋でこんな話を耳にしたという。「20年間で14人も首相が変わる、そんな国は日本だけですよ。」中国人のビジネスマンだったそうだが、私も含めて日本人でその数字を言える人がどのくらいいるだろう。私は今の集合住宅に20年住んでいるが、お隣はせいぜい6,7家族入れ替わったくらいだ。14人も変わったら、名前を覚えるのも難しい。相談ごとなどとんでもない。世界で信頼を得る国になるにはまず我々がもう少し気を長く持たないといけないのかもしれない。
2011年は始まったばかり。まずは一年の計を一日でも長く持たせなくては…。


1月1日

明けましておめでとうございます。
お陰さまでまた新しい年を迎えることができました。
「足もみで健康を守ろう」という志を共にしてくれる指導員の方々、その皆さんを支えて下さる周囲の方々、足もみに興味を持ち実践して下さる皆さん、その皆さんを支えてくださる方々…同じ時代を共に生きる全ての人々がどこかで繋がってお世話になってこうしてお陰さまで新しい年を共に迎えることができたのだなぁ、と暮れの忙しさに縮こまった心を広げて思いを新たにする。
 日々の仕事や暮らしの中で足りなかった点は多々あるけれど、とにもかくにも一年を終えこの新しい年を迎えられたことを寿ごう。昨年は社会が閉塞感を増したという。が、その分個人レベルでは大切なものが見えても来たのかもしれない。クリスマスや暮れの商店の賑わいは家族を思う表れのようにも見えた。
 このような時代にあって官足法の「自分や家族の健康を自分で守る」という役割は、今後ますます必要とされるはずである。なぜ足をもむのか、どうやるのか、をわかりやすく伝え、必要としてくださる人々にお届けできるよう全力を尽くしたいと思う。どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
 皆様の健康が守られますよう、佳いことがたくさん起こりますよう、心よりお祈りします。


11月27日

 毎年この時期になると、ついこの間年始の挨拶をしたばかりのような気がして一年の早いことに驚く。歳を重ねるとだんだん時が経つのを早く感じるようになるというのは実感だ。
 が、歳のせいにしている多くのことは、意外とそうでもなかったりする。足もみを励行する人には年齢より若く見える人も多いが、老化と言われた骨密度が上がった、とか関節の痛みが改善した、などはよく聞く話だ。忘れっぽい、ということも根っからそういう性格の人もいることを考えると、あまり歳のせいだとクヨクヨしない方がいい。気にすればするほどそうなるということもある。そういう時もあるさ、と気を楽に持って自分を信じていよう。
 長くも短くも、これまでの年月を支えてくれた周囲の人々と自分自身に感謝して、これからの忙しい年末、どうぞご自愛下さい。


11月15日

 外を歩くと色鮮やかな落ち葉に目を奪われる。下を向いて歩くのもたまにはいいものだ。
 先日第27回官足法指導員養成講座があった。参加者は19歳から79歳までその差60年。若い方が多く、健康への関心の高さが伺える。皆、師・官有謀のスピリットを受け継ぎ、求める人に「自分で自分の健康を守る」足もみを伝えていってくれることを願う。指導員と認められるまでにはまだ課題をこなさなければいけないが、これからが楽しみだ。
 今年は七回忌にあたり、先生のお気に入りだった中華料理店で食事会が開かれた。若いときに大病をし自ら病を克服、成功を収めた後の人生を異国での人助けに生きたその生き様を思い、あらためて胸が熱くなる。


11月6日

秋もぐっと深まり、銀杏の黄色も鮮やかだ。先日は一日のうちに屋久島からはバナナがたわわに成っている、旭川からは湯タンポを入れている、とのお電話をいただいた。日本も広い。
10月23日の大阪勉強会は、ノリのいい関西の皆さんにこちらが乗せられたかのような楽しい勉強会になった。開催の労を取って下さった箕面市の浜崎ふく子さんご夫妻とその教室の皆さんのおかげで大盛況で、よくわかった。
またやってとの声もいただいた。さて、今日からは指導員養成講座。また頼もしい仲間が生まれる。

10月20日 

スーパーで「チリ産レモン」の表示を見て「ああ、あのチリの…」と手が伸びそうになる。チリ産ワインの購買量も上がったことだろう。南米チリの鉱山で生き埋めになったと思われていた33人から、地下のシェルターで全員無事とのメモが届けられたと聞いた時、あまりの奇跡に、感動に打ち震えた。69日間の地下での暮らしは生きた心地がしなかっただろう。全員無事に救出され、本当によかった。が、世界が一つになって33人に思いを寄せたのは何故なんだろう。世界には地下のシェルターと同じくらい絶望的な地上も、そこでもがいたり諦めたりしている人々も沢山いることをみんな知っているのに。考えてみたら33人もが絶望的な状況の中で希望を失わずにいる、その心の力に勇気づけられたからかもしれない。人間ってけっこうスゴイ、と久々に思わせてもらった快挙だった。

10月12日
キンモクセイの甘い香りがすると、子供のころの運動会の緊張を思い出す。出番が近づくとよくトイレに駆け込んでいた、そんなドキドキも懐かしい。
 今年の体育の日はほぼ全国的に晴天だったらしい。体を動かし、血流をよくして細胞のの隅々まで酸素と栄養を行き渡らせよう。
運動の後は足をもんで筋肉を柔らかく解しておくこともお忘れなく。



10月6日
 総武線東中野駅から西を眺めると、草生い茂る両側の土手に挟まれて真っ直ぐに線路が伸びている。晴れた日の朝と夕方、陽射しを浴びて光るレールがどこまでも伸びてゆくのを見るのは気持ちのいいものだ。ホームから身を乗り出して見るわけにもいかず満足するまで眺められないのが残念だ。
 線路やホームでの事故が後を絶たない。三歳の子供から線路を渡りきれなかったお年より、酔った人や酔った人にぶつかられた人…。その生身の人間とは隔絶した混んだ電車に揺られて人身事故のアナウンスに「またか」と思い遅延を呪う。どちらも浮かばれない。
 山手線新大久保駅で線路に落ちた人を救おうとして韓国人の青年が犠牲になってから何年経つだろう。異国でそんなふうに命を落とした人もいることを忘れないでいたい。
 ホームで歩きながらの携帯メールなど、本人は自覚なく周りから見ると危ないことはたくさんある。ついついやってしまうけれど、用心しなければ、と思う。



930

 雨の日も多くなり、すっかり秋らしくなった。暑すぎて夏に出そびれた蚊が今頃出てくるのも可笑しいが、来年に命を繋ぐためなのだろう。 

 さて、いろいろあったけれど綿々と繋いできた日中関係が近頃また揺らいでいる。日本人からすると理解に苦しむことが多い。

 中国は何を考えているのだろう…。

中国の人なら誰もが知っている昔話に「愚公移山」というのがある。愚公というおじいさんが家の前にある山をよそへ移そうと考えた。来る日も来る日も土を掬い働き続けるおじいさんを、通りがかりの賢いと自負するおじいさんが嗤うのである。「そんな出来もしないことを」と。愚公は慌てず騒がずこう言い放つ。「山はこれ以上大きくはならない。が、山を掘るのは自分が死んだら息子が、息子が死んだら孫が、孫が死んだらその子供が引き継ぐのだから、出来ないことがあろうか」と。

前回中国の温家宝首相が来日して鳩山前総理と首脳会談を行ったのは鳩山さんが総理辞任を発表する直前だった。中国に戻った温家宝は面子を潰された思いだったろう。日本には話をするべき相手がいない、というのが本音ではないだろうか。

今の日本の政治はころころ変わる。それに比べて数十年のスパンで国家の計画を立て、トップが交代しても引き継いでゆくのが中国だ。今の中国はその結果だし、未来の中国のために今の中国はたゆまず動いている。そんな国が隣にあることを忘れて身内の事情に明け暮れる。70年代以降、日本は国庫が傾くほどのODAで世界に貢献してきた。今、その日本が窮地に立っている。難しい問題ではあるが、本来なら日本擁護の国際世論が出てきてもおかしくないと思うのに、なぜか起こらない。何故だろうか。それは、日本国としてどんな貢献をしてきたかということを、日頃から各国民に知らせる努力を怠ってきたからだろう。

遅きに失した感が無いでもないが、これから在外公館が日本の道理を説明して回るという。何らかの効果が出ることを期待したい。



917

 秋が来た。気温35度が普通になって、「今年はずっと夏か」と諦めていたところへ、やはり秋は来るものなのだ。人間諦めてはいかん。

 民主党の代表選挙も終わり、菅総理大臣の続投が決まった。日本のトップが目まぐるしく変わることも普通になり、「今年は誰が総理大臣なの?」と小学生が聞いたという話があったが、少なくともこれで「今年の秋は…」とだけは答えなくてもよさそうだ。

季節は巡る。今は様々な問題を抱え、いささか調子の悪い日本も、ずっと同じではないはず。明るい未来を願ったら、一人一人が今できる今日の一歩を歩くだけだ。

涼しくなったのでよく眠れるようになった人もいれば、夏の疲れがどっと出ている人もおられることだろう。できればあまり無理をせず、身体の調子を感じてみよう。



9月10日
 台風が来て厳しい暑さも去るか、と思いきや、そうでもないらしい。それでも季節は巡ってゆくのだから気長に待つことにしよう。昨日9月9日は重陽の節句だった。中国では旧暦のこの日、菊酒を飲んで邪気を祓い、長命を願うという。
 素直に長命を願える世の中ではないが、出来る限り自分で足をもんで健康を守りつつ元気に長生きするのは悪くない。人との関係が希薄になって、放置された親が戸籍上だけで生き残る、なんとも凄まじい時代だが、元気でいれば何かできる。依存するのではなく、誰かと繋がり、誰かに微笑むことができれば、もっとみんなが生きやすくなると思うのだが。
本来の重陽の節句までにはまだ間があるが、夏の疲れが出て体調を崩しやすい時期になってきた。風邪をひいてしまったりしないようご注意を。



8月27日
 残暑というにはあまりに暑い日が続いている。興南高校が春夏連覇で熱戦を制した甲子園もいつもの年以上に熱かった。特に準決勝では地元報徳学園が相手だというのにスタンドの多くの人々が興南高校を応援していたのではなかろうか。今年は特に基地のことで沖縄が関心を集めている。彼ら自身の素晴らしい戦いに感動しただけではない、沖縄の人々のために彼らの優勝を心から喜んでいる人が沢山いるようだ。
 さて、そろそろ食欲の秋へ、と行きたいところだが、海水の温度上昇でさんまの漁場が遠くなったとか。「目黒のさんま」は殿様が庶民の味を食する落語だが、今年はこれもまだ高値だ。
暑い暑いと言っているうちにクーラーにあたり冷たいものを飲み食いして身体が冷えてしまう。だるい、調子が悪い、という人はせめて屋内では暖かい飲み物を飲むようにしてはどうだろう。インドの人は熱くて甘いチャイ(ミルクティー)を飲む。故無きことではないだろう。



8月21日
 風が涼しくなって、暑さももう一息かと気を入れなおす。
この頃の日常の楽しみは朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」である。漫画家の水木しげる夫妻の話で、奥さんが書かれた本のテレビ化だが、これを通して戦後間も無い頃の日本人の生活や感情をはじめて知った人も多いと思う。私もその一人だ。
 今週は南方の島で戦争中に負傷した水木しげるさんの体験を通して戦争の惨さをリアルに伝えている。死ぬことが美化され、生きることが許されない戦争とは、いったい誰のための戦争だったのか。人が死ぬことを讃え、強制した人たちはどういう人たちだったのか…?今を生きている私たちに一年に一度来るこの季節。目を逸らさずに向き合う責任があると思う。



8月12日
 暑い暑いと言っているうちに暦の上では立秋を迎え、朝晩など風が涼しくなったのを感じる。空は濃い青を背景にした積乱雲から、青が薄まり、たなびく雲を多く見るようになった。蝉の亡き骸をあちこちで見かける。命の限り鳴き競った魂の抜け殻がもう何の未練も無く、軽く枯れてそこここに在る。
 人間の世界では生きていれば100歳以上のはずの多くの人が行方知らず。どんな人生を歩んできた方たちなのだろう。亡くなられているとすれば本人は未練もなく、満足して逝かれたのだろうか。野生の生き物のようにさっぱり死ぬのも一つだが、せめて見守ってくれる人の一人もいて命を終えられればいい。
 行雲流水、命は巡る自然の営み。その中で人は人らしく命を全うしたいと思う。


721

テレビをつけたら津軽三味線を弾く千葉勝弘さんが映っていた。千葉さんは青森県黒石市在住の民謡歌手で、官足法の指導員でもある。高く低く力強い三味線の音は時を超え、異空間へと誘ってくれる。黒石市の古い町並み「こみせ通り」を紹介する番組でのこと。こみせ通りでは津軽民謡のライブをやっているそうだ。夏休みのひと時、足を運んで哀愁の津軽三味線に身を浸すのも良いかもしれない。



7月13日
 パウル君のタコ占いが最後まで当ってスペイン優勝で幕を閉じたワールドカップ。4年後も楽しみだ。チームワークの勝利を見せてくれた日本代表と違って、日本の政界はさて、この期に及んで足の引っ張り合いだ。参議院選挙の結果の衆参両院のねじれは今の与党に失望した国民の意思なのだから仕方がないが、次代にツケを廻さないで我々の世代で問題を解決するのだという意思を持ってほしい。未来に希望を持って今を乗り切る道筋を見出し、わかるように説明してほしい。いつまでも政党同士のいがみ合いでは、観客激減の大相撲のようになってしまうかも。ああ、4年後は如何に。


7月9日
 先日の日曜日、埼玉県春日部市で官足法勉強会が開かれた。導引養生功埼玉支部の神田廣美先生は官足法の指導員でもあり、官足法をやると気がよく通る、と熱心に皆さんに勧めて下さる。神田先生の呼びかけで実現したこの勉強会、皆さん真剣に取り組まれ、質問も多かった。普段から足をもんでいる方も、そうでない方も、足もみの良さを再確認していただけたようだ。


7月1日
 俄かサッカーファンをたくさん作ったであろう日本代表チームのワールドカップが終わった。頼りないと思っていた日本チームがよくがんばって決勝トーナメントに進出、強豪パラグアイに最後まで一歩も引かぬ展開で、負けはしたけれど日本人もまだまだやれるかも、と思わせてくれた。諦めなければ何が起こるかわからない、それは真実らしい。
ワールドカップはまだ終わっていない。チームがバラバラになって去って行ったフランスや世代交代のイングランドなど、残念なこともあったが、アルゼンチンやガーナなど楽しみなチーム、個性的な選手の活躍を、今度は純粋に楽しんで見てみようと思う。



6月16日
7年の旅を終えた探査機はやぶさが地球に帰還した。打ち上げ直後からエンジンの不調がわかったり、小惑星イトカワに着陸直後に通信が途絶えたり、復旧後も相次ぐエンジンの故障に見舞われたが、その都度チームが智恵を絞ってピンチを乗り越え、奇跡的な帰還を果したのだ。カプセルが回収され、イトカワの砂が入っていれば言うことは無いが、そうでなくてもこの旅には大きな意義があるという。史上初めての技術を幾つも試み、困難を乗り越えてすべて成功させてきたからだ。
ワールドカップが始まり、昨日は日本がカメルーンと戦い、なんと勝った!しかしベスト4だの優勝だのと夢物語はゆっくりでいい。まずは今の実力をしっかりと発揮して、一戦一戦大切に戦ってほしい。勿論勝ち続けてもらいたいし、勝負なのだから勝つことこそが大切だ。けれど、世界中の精鋭が国民の期待を背負って全力でぶつかり合うのだ。日本チームがここで何を学んでくれるのか、大きな心で見守りたい。「はやぶさ」のように未来に繋がる問題を見つけて一つ一つ乗り越えていくことに大きな意味があるのだから。
それにしても何が起こるかわからない。諦めず、夢を捨てずにいれば何か素晴らしいことが起こるのかもしれないと思わずにはいられない。頑張っている人たちが私たちに夢を見せてくれること、その夢が私たち大人ばかりでなく、未来を担う子供たちを励ましてくれること、そのことに深く感謝を捧げたい。


6月9日
 新しい総理が誕生し、新しい内閣が出来た。といっても清新の気は無い。またか、と思いつつ、眺めやるばかりである。
鳩山政権は政権交代の興奮から坂を転がるように支持率が落ちていったが、今度は低いところからの出発。後は上がるのみ、となればいいのだが、さて、どうなるか。一国の総理として鳩山さんの言葉はあまりに軽かったが、ここに至るにはメディア側の無責任な揶揄や批判もあった。これを問題視する発言が取り上げられるようになったのは、最近の少しいいことではないだろうか。私たち国民も表面的な情報に振り回されずにじっくりと見極める目と心を持ちたいものである。

5月20日
 春の天候不順などなかったかのように、初夏の陽射しが眩しくなった。道端で香るジャスミンにも癒される。
 こんな佳い季節ではあるが、口蹄疫で大揺れだ。今は宮崎県が大変だが、周りの県も戦々恐々、いつ飛び火するかと心配している。これ以上被害が拡がらないように、牛を大量に"処分"するという案もでているそうだ。
 "処分"というとそうか、と思うが、病気になっていない牛も含めて殺されるのだ。大切に育ててきた農家にとって断腸の思いだろうし、またそれ以上にこれからの生活を思い不安だろう。被害が大きくならないうちにこの災禍が過ぎ去ってほしいと思う。
それにしてもあの黒々と憂いを含んだつぶらな瞳の牛たちが病気でなくても殺されるのを"処分"というのはどうだろう。「虐殺」と言わないまでももっと適切な言い方はないだろうか。無実の牛を"処分"する、の言葉に、こんなときこそ彼らの命をいただいて生きていることを噛みしめたいと思うのである。



5月12日
 先日ウィーンから国際電話をいただいた。

お友達から当事務所の電話番号を聞いた、と。外国で病気になる心細さはいかほどだろう。パソコンは苦手と仰るので電話でやり方をご説明したが、健康を守るため自分でできることは沢山あるので、是非諦めず取り組んでいただきたいと思う。
 新緑眩しい連休の一日、松本での勉強会には大勢の方々が来て下さった。足もみは一度習ったくらいでもそれなりに結果が出るのだが、奥が深いものだ。足もみをご自分でやってはいてもあまりパッとせず、まぁこんなものかなぁ、と思っていらっしゃる方には、機会を見つけて再度体験してみていただきたいと思う。
松本にも来て下さったKさんから葉書が届いた。ご自身の足のむくみが引いてきたそうだ。高齢の身で家族の足ももんでいるのだから大変に違いないのだが、明るく、希望を持ってご自分の経験を伝えながら病気のご家族を看ていらっしゃる、その慈愛に触れて私たちの心も温もり、励まされたのである。


5
2

 春をそぞろに飛び越えて一気に初夏のような陽気である。官事務所の行事も、先日の指導員養成講座を終えて、今日は信州松本での甲信地域勉強会が開催される。

指導員養成講座も今回は長野の方が多かった。中でも最年長のKさんは80歳。杖無しでは立っているのもつらいほどだったが、これからのご自分のため、病める家族のために参加され、熱心に勉強される姿には頭が下がった。

3日間じっくり取り組むうち、杖を忘れてさっさと歩かれることもしばしば。今日の勉強会にも参加されるそうで、またお会いできるのが楽しみだ。

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 異常気象で野菜の高騰が続いている。アイスランドの噴火による飛行機の欠航も各方面で被害甚大だった。こんなとき人間は自然の脅威の前に為すすべもない、小さな自然の一部であることを気付かされる。

山々に、人が通る小径も無いような斜面に小さな祠や鳥居を見つけることがある。そこは人と自然を結ぶところなのだろう。

山田洋二監督が「役者が自信満々の時は使えない。何か自信が無く、思い悩んでいるような時こそいい。」と言っている。人間も自然の前で自信満々でいるよりは、自然の前に頭を垂れている方が地球にとって使えるのかもしれない。




4月16日

桜前線が北上し関東は葉桜になった。満開の桜の陰で凍てつく月に白い輪郭を光らせていたハナミズキの蕾もその柔らかな初々しい花を開き、季節は確実にうつろってゆく。

 先日NHKが「無縁社会」という番組を放映し、大きな反響を呼んだ。ごく普通の人々が土地や人との繋がりを無くし孤独死する実態。故郷の家族に迷惑や心配をかけたくないという若者が陥ってゆく孤独。どれも他人事ではない。

 解決策も提示されていた。自分からコミュニティに参加してゆくこと。はじめは恐る恐る、面倒はイヤだなと及び腰だったりするのだが、他人と一緒に作業したり話したりするうちに楽しく、こころ強くなってくるようだ。人という字は支えあっている、とよく言われるが、繋がりを求めるのが人間だ。たこ八郎さんの「迷惑かけて有難う」はけだし至言である。

 ある人に寂しい時のツボはどこかと聞かれた。私なりにお答えしたい。

 目を瞑り、呼吸を深くし、今日会った一人一人を思い出し、声に出して「有難うございます」と言ってみる。次にこれまでの人生で関ってくれた人々や親兄弟にも。内観と言われる広く知られた方法だが、寂しい時ほど効果的なオススメのツボである。



4月7日
 窓を開けると行き交う車の音、電車の通る音、工事をする人たちのかけ合う声がなんとはなしにのんびりと聞こえてくる。春は音まで聞こえ方が違うようだ。
ところで唐代の人、孟浩然の有名な詩の一節に「春眠暁を覚えず」というのがある。春は眠くてしょうがない、という意味で使われているが、実は眠りが浅くてなかなか朝が来ない、というのが本来の意らしい。だから夜来風雨の声を聞き、花がどれだけ落ちたかを知っているのだと。
東京の桜もあとは散ってゆくのを惜しむのみ。せめて夜更かしをして花の散る音に耳を澄ませてみようか。

4月2日
 1日、東京では夜からゴオッという唸りを上げて強風が吹き荒れた。朝になっても一部の路線では電車が徐行運転で数珠繋ぎとなり、一駅進んでは止まるほど。先日来の寒波を衝いて漸く満開となった桜が大きな枝をワッサワッサと揺らしている。せっかくようやっと咲いたものを無情な風よ、と思ったが、どっこい花は散らない。咲いたばかりの花の勢いは風に負けない。若い力とはこういうことか、と思う。
 4月になって新しい一歩を踏み出した人の中には必ずしも希望通りの出発ではない人もいよう。志望校に行けなかったとか、希望する就職ができなかった、とか。むしろ数から言えば思い通りにゆかない人の方が多いのではないか。苦しかったり、不安だったり、「若い人はいいわね。」などと言われるとどこがいいものか、と思うものである。それでもやはり、若い時というのはお金で買えない財産だ。その財産を存分に使ってほしい。何もほしくない、どこにも行きたくないという若者達を悟り世代というそうで、なるほど彼らは賢い。が、若いうちに賢くまとまらなくてもいいのではないか。いろんな経験をして、想像できないこともたくさんあることを知ってゆく中で自分を豊かにし、自分自身を知るのではないか。その強さは人に本来自然に備わっているのではないかと、風の中で思った。

3月31日
 寒波を経て桜が咲き出した。アメリカでは歴代民主党政権の悲願だった医療保険制度改革法案が成立した。オバマ大統領もさぞかしホッとしていることだろう。大統領就任演説で「チェンジ」の言葉を封印し、国民一人一人の責任と協力を説いた。ノリのいい言葉ではないが、それこそが「チェンジ」するということ、一人一人の自己改革なくして本当の変革はあり得ないということなのだろう。まだまだ根強い反対はあるようだが、ひとまずこれで普通の国民が安心して暮らせる基礎が出来たのではないだろうか。アメリカにはアメリカの成功哲学があろうが、我々東洋の思想で言えば陽には陰が、光には影がつきもの、勝者の陰には敗者がいるものだ。不幸にして運に恵まれなかった人たちにも安心して生きる権利がある。
  政権交代を見守る国民の忍耐も失望に変わりつつある日本だが、基本的に誰でも安心して医療を受けられる国なのだ。その上でもし自分で足をもんで自己治癒力を高め、一人一人の医療費が削減できたら、借金に悩む国庫にとっても、その重い負担を引き継ぐ子供たちにとってもなおいいと思うのだが…。


官事務所の窓2

6月27日

 自分のことはよくわかっていなくても他人の事は結構わかる事がある。イギリスの国民投票でEU離脱が決まり、世界中に大きな影響を与えている。まさかの結果だったが、感情が人の行動を決めるということなのだろうか。自分たちの意思決定を自由にできるようになりたいというのは自然なことだと思う。みんなで足並み揃えて決めるというのは個人にとっては足枷をはめられているように不自由なことだし、一国の話ならなおさらだ。   移民が増えて自分たちの権利を脅かされるといった感情も、すぐには前向きに変えられないかもしれない。けれど、それらを超えてEUを作り上げた人々は二度の大戦で祖国を焼き尽くし、隣国同士が殺し合い、飢えてボロボロになる人間の愚かさを嫌というほど知ったから、多少不自由でも国と国の垣根を超えて手をつなぎ、互いの違いを乗り越えて共に繁栄する道を求めたのではなかったか。  スウェーデンのロイ・アンダーソン監督の「サヨナラ人類」という映画がある。懲りない人間の愚かさを皮肉と愛おしさを込めて描き、可笑しいけれど重すぎて笑えない。  理想はあくまで理想で現実ではないということか。現実の中で私たちはどこへ向かっていくのだろう。イギリスの選択が結果として良いことなのかそうでないのか、私にはわからない。けれど、「イマジン」を産んだビートルズの国で、繋いだ手を振りほどく選択がされたことは人類の一人として、重く受け止めたいと思うのだ。


4月18日

 熊本、大分など九州広域で甚大な被害が出たこの度の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。体一つ残して被災された方のお気持ちを思うと悄然と言葉もありません。  思えばこの国は火山の国、地球の皺が創り上げた土地を借りて自然の恵みをいただいて生きてきたご先祖様たちは多くの災害で命を落とし、それでも自然に対する畏敬の念を子供たちに伝えてきました。自然の脅威を目の当たりにする時感じる無力感、体の芯から力が抜けていくような寄る辺なさは、大昔から人々が時に感じて来たものなのでしょう。  自分の無力を感じながらも阪神大震災や3・11で学んだこと、足りなかったことが今度は活かされますようにと、願って止みません。  避難所や車中など狭い場所での生活で足に感覚が無くなったり、全身の血流が悪くなることを避けることは意外と簡単で、自分でも、或いは家族にしてあげることも出来ます。ご自分の手で腕や足を揉みましょう。また、小さい時に、寝そべる親御さんに頼まれて足を踏んだ思い出は無いですか?疲れたご家族の足を前側、後ろ側、両側面から、ゆっくりじんわり踏んで上げて下さい。  何も無くても出来ることはありますよ。


4月5日

 桜の季節がまた去ろうとしている。東京では晴れた日より曇りの日が多かったような気がするけれど、くもり空を背負った桜もまた重厚でいい。去年は青空に映えてひたすら美しかったさくら、、今年は日々の忙しさに紛れてゆっくり花見もしないままだ。それでも先日早朝に千鳥ヶ淵に出かけた。  水面に映るビル群に朝陽が射して街がようやく目覚めようとする時間、桜をカメラに納める。出勤前らしい背広姿の人達も、同じようにシャッターを切りながら何を想うのだろう。来年はこの桜をどんな想いで見上げるのだろう、と一年後を想像してみる。  この世に桜があると言うだけでどれだけ心が救われているだろう。西行は「なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山」と詠んだが、梅が終わるか終らぬかのうちに蕾はどうかと気になり始める。雨を恨み、暖かすぎるのを心配し、そんなことをしている間にまたもう散っていく。まるで子の成長を見守り、巣立つのを見送るように、心を揺さぶる季節が過ぎてゆく。  4月ももう早や1週間が経とうとしている。新しい生活に一歩踏み出す人も、頑張り過ぎず、がんばりましょう。自分を信じ支えるために、楽しいこと、嬉しい事、美しいものをいっぱい心のカメラに納められますように!


3月28日

 小さな子どもが泣くのを見るのは親でなくても辛いものだ。転んで怪我をしたりしたら「痛いの、痛いの、飛んでけ〜!」と、泣き止むまで寄り添おうとする。長じて大人になっても、医療の場では患者の「○○が痛い」という訴えを聞けば痛みを無くすよう最善を尽くす。痛み止めもそのようにして処方される。  免疫学の世界的権威、安保徹先生の著書「医療が病いをつくる」(岩波書店)によると、痛みは悪くなっていた血流が回復する時に感じるものだそうだ。つまり、自律神経で言えば交感神経優位の緊張状態(血管が収縮して血流を抑える)の時はあまり感じないが、緊張がほぐれ副交感神経が優位(血管が拡張し血流が良くなる)となった時に感じる。夜、床に就いてから痛みで眠れないなどというのはその好例だろう。痛み止めは血流を抑え交感神経緊張を強いるものだったのだ。  ところで最近カナダで売られている日本の会社の湿布薬を目にする機会を得た。頼まれてそれと同じものを日本で買おうとしたが売られていない。血流を良くする成分の入ったその種の湿布薬より、すぐに効く血流を抑えるタイプのものが日本では売れるかららしい。  自律神経は自分の意思とは無関係な神の神経と言われる。その交感神経と副交感神経のバランスが取れていることが健康な状態である事は言うまでもない。交感神経緊張が続くことは、血流を悪くし、冷えやめまい、がんなどになりやすい体質に傾くことでもある。「毒にも薬にも…」という言葉が示すように、薬は使いようではないだろうか。安易に日常的に頼ることは避けたいものである。


3月7日

 先日受話器を取ると年配の女性から「おたくぶら下がり健康機ある?」との声。勿論ある訳がない。聞けばお友達と3人で「これからは健康だよね。」という話になり、ぶら下がり健康機でも買ってみんなで一緒にやろう、ということになったらしい。とりあえず電話番号案内にかけて健康器具の会社を問い合わせたらこちらを紹介されたという。広告も出していないのに、有り難いことである。  ご近所同士で、或いは友達同士で集ったり、コミュニティセンターでサークルを作るなどして官足法をやっている方もいるが、まだまだ数は少ない。自分ひとりではなかなか続かないという場合には一週間に一度、いや、一ヶ月に一度でも誰かと一緒におしゃべりしたり、互いに他人の痛がるのを笑い合いながら足もみする機会があるといい。そんな風に当たり前に、ラジオ体操のように親しまれたらいいなと思う。  格差がどんどん広がっていく社会だけれど、足の効能は誰にも平等で、足もみは誰でも自分で出来る。健康の不安と医療費が減るということは、希望は誰にでもあるということだ。続けていればいつでも足で身体の好不調を知り、対処が可能だ。そうなったら人生は違って見えてくるかもしれない。  件の電話の女性は近々訪ねて来られるとのこと、きっとお友達と賑やかに会話が弾むことだろう。


2月15日

 節分を過ぎれば旧暦の季節は春。今年の春節は2月8日だったから気温が上がって春めくのも不思議は無い。そんな中、7日(日)には官足法新年会が行われた。テレビ司会者の草野仁さんの講演があり、会場は大勢の官足法指導員と一般のお客様でごった返した。  12:00の開始から2時間半の講習で身体もポカポカ。今年は実技講習に参加者からも意見を募る参加型の講習会を行った。草野仁さんの講演はアナウンサーの苦労がわかるこぼれ話や失敗談が盛り沢山。笑って拝聴するうちに話題は黒柳徹子さんのことに。あの知性はどんなに忙しくても手を緩めないたゆまぬ努力と、未知の世界に挑戦する勇気と意志に裏打ちされているのだと初めて知った。演題の通り「いつもチャレンジ精神で」失敗を恐れず自分の人生を思うようにやってみることを草野さんは応援してくれたのだと思う。  夕刻からの懇親会も大いに盛り上がり、楽しかったと口々に言っていただいて散会となた。遠来の方、お忙しい中参加して下さった方、本当に有難うございました。また、心ならずもお断りした方々、お詫び申し上げます。


1月20日

 あまりの暖冬を心配していたら、18日は夜半雪になった。東京では交通が混乱し、朝の駅は人で埋め尽くされた。  それにしても吹き曝しのホームで凍えながら1時間以上もジッと自分の番が来るのを待つ人々、自分もその中の一人だけれど、そんなにしてまで何故行こうとする?隣の人の身体の震えが伝わって来る。ホームはまるで岸壁、雪の線路を前にして黒いコートの人の列はフンボルトペンギンのようである。  行くことになっているから行く。日本人って、真面目って、いい事なのか!?(笑)我が身に問うた出来事だった。  因みにこの日は3時間半かけて出勤。芯から冷えた体を、ウォークマットを1時間踏んで内から温めた。仕事はもちろん午後からである(-_-;)  東京は止んだが、多くの地域で大雪だ。雪下ろしや車の運転、歩行にもどうか気を付けて、暖かくして過ごされますよう!


2016年1月1日  明けましておめでとうございます。  昨年も多くの皆様に支えられ、年を越すことが出来ました。誠に有難うございました。 官足法は皆様のご支持によって大きな広がりを見、その名を知られるようになって来ております。早稲田大学で官足法講座が開催され、若い世代にその良さを実感していただけたことは大きな喜びでした。また事務所での体験施術では、今年も病と向き合う人々が自分の中に治癒の力を発見し、明るく前向きに克服して行かれる姿を目の当たりにしました。全国各地の講習会では会場を埋める皆さんの熱気に圧倒されました。  毎日、強く万遍なく足全体を揉むこと、グッズを使って力も時間も省けばそれが楽に実現でき、体が変わるのを実感できる。講習会場での熱気はそのことを練習を通して体感できたからでしょう。体の知識と揉む技術、少しのコツで効果は倍増しますから。  具合が悪かったら薬を飲めばいい、という“常識”の中で、痛いのは嫌だという当然の反発の中で、官足法が根を張り続けて来られたのは、それが私たちに本来備わった生命維持の仕掛けだからに他ならない、と思います。「揉めばいいんだ」とは官有謀先生の口癖、この中に全てがあるような気がします。  山ほどの問題も先ずは足から。  どうぞ皆様お一人お一人にとって幸せな一年でありますよう。

9月2日

 雨上がり、風に吹かれる雲の下、ガラスに絵具を流したような青空が覗いている。  今日は水曜日。体験施術に病院で甲状腺がんと診断されたというKさんが見えた。二か月待ちの体験施術に最近キャンセルが出て、折り良く入られた方だ。岡山至先生の施術に叫びながらも、二度目に同じところを押すともうさほど痛くなくなっている。  ちょうど遊びに来ていたのは春に子宮頸がんですぐに手術と言われたMさん。手術を断わり、体を温めることと足もみに賭けて今はほぼがんは消えている。病気になる前の自分を振り返り、この4か月でこれまでになく元気になったというMさんは、「がんになってよかった。」と言う。  真に願って行動すれば必要なものを引き寄せることが出来る、というのは本当だ。たまたま空いていた時間、たまたまの出会い。それらは必然で、Kさんが求め、引き寄せた、これからの恢復への大切なステップだったのだろう。 帰り際の涙、、Kさんに希望のバトンが渡された!


8月8日

 つい二、三年前まで、風通しだけは良い我が家ではひと夏に風が絶える夜が二度ほどあってようやく冷房をかけるという風だったけれど、そんなことが遥か昔のように思われるこの夏の暑さである。熱中症で搬送される人数も例年では考えられないほどだ。  人間の体温は芯の温度が37度だそうだから、具合が悪くなるのも当然だ。かといって冷房の効いた部屋で冷たいものを飲食してというのも身体の芯を冷やしてしまう。暑いからと首を冷やして不調が長引くこともある。  脳が体温を調節し、自律神経をコントロールしているのだから、適度に汗をかいて体温を下げる為にも脳への血流を確保するのは大事なことなのだ。首を冷やすことは首の血管を狭め温度を下げるが、脳への血流量を少なくすることにもなるので避けたい。これによって秋になっても冬になっても不調が続くという場合もあるのだから。  冷たいビールの有難味が身体に適度に染み渡るこの夏の暑さを奇貨として、足を揉んで乗り越えたいものだ。

7月3日

 早いもので5月末の指導員養成講座からもう1か月半が経とうとしています。3日間同じ釜の飯を食べた仲間たちもそれぞれの場所で自分の健康を回復し、指導する立場で課題に取り組んでいます。講座中に長年の股関節の痛みを感じなくなったという方は今も快調のようです。手術の後遺症に苦しんだこともいつか笑い話になるでしょう。
 6月末には初夏の札幌で官足法実技講習会が開かれました。官有謀先生の講演会から20年以上もの間実現しなかった札幌での講習会。官足法指導員で官事務所専任講師の岡山至氏による理論と実技の指導は待ちかねた官足法ファンの方々に楽しく官足法の神髄を伝え、「自分の身体を知り、健康を守るのは自分自身、と改めて納得しました。」との声が聞かれました。  いよいよ7月、今年の夏はどんな気候になるのでしょうか。大雨などの災害がありませんように、と祈るばかりです。

5月20日

 ついこの前まで三寒四温と言っていたのに暑いじゃないか、と思う私はこの頃他のことでも目を丸くしている。  文芸春秋5月号で「患者が知らない医療の真実」という特集が組まれ、順天堂大学の白澤卓二先生が早期発見早期治療の現代医療に疑問を投げかけ、病気を作る医療と喝破されたかと思えば、TBSの「駆け込みドクター」(4月18日放送分)では有明医療大学の川嶋朗教授が「足の例えば胃の反射区を押すと脳のその部分が反応する。押して気持ちよかったり、痛い時はどちらも身体からのサインで押して!!と言っている。」と断言されている。  「胃が悪いのになんで足を揉むんだ?」と親に嗤われたのは20数年前…。世の中変わるんですね。地道にコツコツ、これからも必要として下さる全ての方にこの方法が遍く届きますように、志を同じくする大勢の仲間たちと共に歩んでいきたいと思います。


5月1日

 例年のように他人事の如く帰省ラッシュのニュースを観る連休になりました。万葉集には「が頭かき撫でくあれて いひしけとばぜ 忘れかねつる」(父や母が、私の頭を撫でさすりながら、幸いであれ、と言った言葉が忘れられない)という東国の防人の歌があるそうです。この歌を詠んだ人は懐かしい故郷に帰れなくても、両親を想って心を奮い立たせていたのでしょうか。
 家族は一緒にいてもいなくてもきっと強く繋がっているのでしょうね。でもそれを力にするにはお互いに交わす言葉が温かいものでありたいと、反省を込めて思うのです。



4月15日

 春の冷たい雨が続いて桜もすっかり散り、やがてハナミズキ、ツツジ、と道端を飾る花々も装いを変えてゆく。  昔の人はそんな四季の気候に合わせて生活することを養生の基本にしていたようだ。中国古代の医学書、黄帝内経には春夏秋冬の暮らし方が出て来る。  春は古い命が新しい命を生み出し育む季節、その春のエネルギーにふさわしいのは早起き、散歩など。そして与える事や褒めることを心掛け、奪ったり罰したりしないようにしなさい、とある。そうでなければ肝臓の機能が低下し、夏に却って冷えによる病気になりやすい、とのこと。  心は身体の風上と言うけれど、春の命を大切に育てることは育てる側にとっても自然の理に適ったことらしい。人間も自然の一部ということは、古代の人にとって当り前のことだったのだ。

4月3日

今年の桜はひときわ心に沁みた。散りゆく花に、人生を盛りで散った人を重ねたから。ご本人の無念も、残された者の悲しみも、如何ばかり…。ただ、満開の桜の下で逝き、散り初めの桜に送られたその人の、神に愛されし人生を想うばかりだ。

3月2日

 歳を取って出先でトイレが間に合わなかったりすると、とても落ち込むものだ。無理もない。まだまだ若い若いと自分を励ましながら日々生きているのに、当り前に出来たことが出来なかった、と思うと何とも情けないような、悔しいような、寂しいような気持ちになるのは当然だ。  時はいつまでも同じにいさせてはくれないけれど、先日読んだ本で心を打たれたことがある。「生命とは波打ち際に立つ砂の城のようなもの。城の外観はまったく変わらないがそれを構成する砂は常に入れ替わっている。」(福岡伸一著「生物と無生物の間」)と。  生きている限り細胞は新陳代謝を繰り返し、日々新しくなっているのだ。「もう歳だから」とか「昔はこうじゃなかった」とかこだわるのはやめて、新しい一日を新しい自分で迎えてみよう。

2月19日

 旧正月の今日、東京では春が始まる日にふさわしい暖かい一日となりました。花粉も飛び始めたようです。疲れを溜めたり冷えたりしないように気をつけて、この時期を乗り切りたいものです。足もみで長年の花粉症とサヨナラもできます。今年こそ楽しくお花見ができるといいですね。  今日から始まる一年に新月と満月の日、合わせて24の季節の区切りを迎えます。種を撒く日や暑さにあえぐ日、24節季は様々な季節の営みが書き出されたカレンダーのようです。         人の身体も自然の一部。先人の知恵と我が身の声に耳を傾けて過ごす余裕を持ちたいものです。

1月30日

 一月は官足法新年会が開かれました。各地からの指導員と一般参加の方々が実技、講演、懇親会を楽しまれ、熱気に溢れた会となりました。実技は四つの部門に分かれて棒やグッズに習熟した講師の指導を受け、講演では早稲田大学教授の鈴木秀次先生から運動と筋肉の話を、医師の文隆雄先生からは「死」とどう向き合うかについての話をお聴きしました。 懇親会は新旧指導員の交流の場にもなり、一般参加の方々にとっても参考になる話がいろいろ聞けたようです。  今年も様々な希望や抱負を胸に、2月から官足法の新年度が始まります。


10月10日

 先日の一日一食を、おやつ有り、緩めでトライして過ごしてみたという人曰く。「個人的な感想だが、なかなか良い。身体が軽くなり、胃の調子がいい。毎日の足もみで足をよぉく見るが足裏にある胃と膵臓の反射区は硬かったのがだいぶフニャフニャになり、強くもんでも痛くない。」と。 身体の内部の変化を、足は目に見える形で教えてくれる。やはり日々食べ過ぎているらしい。続けられれば食糧危機も怖くない、かもしれない習慣。たまには喰う寝る楽しみもしつつ、気楽にやってみるのも一手だ。 後日談だが、ストレスでおやつが多くなった後は反射区の硬さも逆戻り。足もみで体調を挽回すべく頑張っているそうだ。


2014.9.24

 食欲の秋がやって来た!芋栗南京と言えば女性の好物。秋刀魚に酢橘をキュッと絞って白いご飯をかき込むのも堪えられない。 でもこの秋、官足法仲間の間で一日一食が流行っている!?と言っても若干2名だが、我が官事務所講師の岡山至先生によれば、なんでも『がんは治る、がんは治せる』(安保徹・船瀬俊介・奇歙著 花伝社刊)の中で自然治癒力アップの秘策として触れられているとか。  何だか身が持たない気もするが、食べ過ぎがストレスと並ぶ病気の原因とも言う。考えてみればお腹も空かないまま次の食事、おやつにおつまみと無意識のうちに身体に入れてひっきりなしに消化させ、エネルギーも作れば老廃物も作り出し、内臓を疲弊させているのはまごうかたなきその屋の主。つまり自分なのだ。  100年前の人力車夫は一日に玄米と沢庵数切れで50km走り、3週間走り通せたというから、本当は余計なものを入れない方が効率良く身体は働けるのだろう。すっきりした部屋、すっきりした机の上が効率が良いのと同じに。(自分で書いておいて耳が痛い…)

8月18日

 風が心なしか涼やかになり、うろこ雲が空に浮かぶ。夏もそろそろ終わりだ。蝉が仰向けになってアリに運ばれていくのを見た。『大往生したけりゃ医療と関るな』(幻冬舎)の中で著者の中村仁一さんが、死に際にはエンドルフィンという快楽物質が出るのでそんなに苦しくないのではないか、という説を書いておられたのを、ふと思い出す。もし本当にそうなら、蝉もそうだといい。 この夏も各地で水害があった。震災の傷跡もなかなか癒えない。戦禍や伝染病、海の向こうにも多くの嘆き。それでも、生きている時間は泣いても笑っても過ぎてゆく。地上を月は遍く照らしてまわって行く。 地球に近くなった時の満月をスーパームーンと言うそうだ。明るく輝いて見えるという。8月見そびれた人には9月9日もある。晴れることを祈ってお月見でもしよう。

7月18日

 忙しさにかまけて水やりを忘れたベランダのプチトマトが葉を茶色に枯らせて、実は赤々と命の限りを受け取っている。諦めつつ水やりを再開したら茎が青々と色を戻し、緑の葉が出始めた。 この暑さの中、官事務所の体験施術は相変わらず好評だ。今週は20数年前に官足法に出会い、コツコツ自分で足を揉んできたと言う男性が見えた。その方曰く。その昔、官先生に出会った官足法講習会、具合が悪いと言ったら「若造が何を言っておる。揉めばいいのだ。」と先生。自分で揉むしかないと納得し、本を見ながら細々と自分で揉み始めたところ、腰痛、肩凝り、頭痛、目の痛み、風邪などちょっとした不調がすぐ治るようになった。でも他人に勧めたら気が変だとかバカなことを言っていると言われて、それ以来誰にも言わずに一人で足をもんでいる。この20数年、薬も本当に要らないし、元気でいられる。大抵のことは自分で治せるけれど一度ちゃんと専門家にやってもらおうと思って来た、と。指導が終わり「もう来なくていいですよ。」と太鼓判を押す担当の岡山至指導員に「目からウロコのことが沢山あったからまた来たい。」と仰る。 元気になっていこうとする命の力を自分で引き出すのが官足法の良いところ。自分を信じて実践すれば、身体は応えてくれるのだ。

6月6日

 暑かった5月も過ぎて全国的に梅雨入りしたとか。作物を実らせる恵みの雨、穏やかに季節が巡ってほしいものです。 5月30日から3日間行われた官足法指導員養成講座も定員を上回る参加者に、やむを得ずお断りした方も出るほどの盛況でした。講座では二日目から最終日にかけて殆どの方がご自分の体調が変わるのを感じられたようです。捻挫の腫れが引き、腱鞘炎の痛みが無くなるなどの変化もありました。医師、看護師、相談員などの医療関係者が多かったのも今回の特徴です。官足法をしっかり身につけて今後に生かしてもらえることを期待しています。 先日朝日新聞に在宅医療に取り組む医師・太田秀樹さんのお話が掲載されていました。「治せないものは治せないと患者や家族らが受け入れるべき。高齢化が進むと医療が逆に状況を複雑にすることも多い。骨折で入院して認知症や寝たきりになったり、肺炎で入院して胃ろうを作られ口から食べられなくなったり…。最期をどう迎えたいのか私達一人一人が考えるべき。」と。同感です。 少し考え方を変えれば、天寿を支えその人が最期まで自分らしくあるように、私たちにできることはまだまだ沢山あるのではないでしょうか。一人一人の経験は社会全体を変え、自分自身の終末も明るく照らすものになるかもしれません。

5月7日

風薫る5月、暖かな陽気に誘われて行楽に出かけたいと思うものの、人混みに二の足を踏んでしまう。そこで近場で手を打って、東京国立科学博物館で開催されている医は仁術展に行ってきた。詳細な薬草の記述や刑死者腑分け、つまり解剖の克明な図、蘭学の辞書など江戸時代の医師たちの真摯な探求心が豊富な資料で眼前に蘇る。「ターヘルアナトミア」を訳して「解体新書」を著したことで有名な杉田玄白はその中に間違いが多いのを気にして後年弟子に修正を命じたのだとか。その玄白が69歳の時、子孫の為に書き残したという「養生七不可」が展示されていた。 1.後悔しない。2.先のことを思い煩わない。3.暴飲暴食をしない。4.得体の知れないものを食べない。5.みだりに薬を飲まない。6.房事を過さない。7.身体を動かし楽をしない。 これ、現代を生きる我々にもそのまま通じると思いませんか。

4月22日

 韓国の客船が大勢の子供達を載せて沈没した事故は、現代科学の残酷な一面を見せつけられるようだ。頑丈に作られているだけに外からなかなか入ることのできない船体。目の前にいるのに助けてあげられず閉じ込められた子供とメールや電話でやりとりする家族の気持ちはどんなだろう。 人災の面を思ってもいたたまれない。船内放送で待機して救助を待てと言われたら普通その通りにしてしまう。おかしいと思った人は生き延び、素直に従った人は閉じ込められた。ただなんとなくそう言われているから、とか、人にこう言われたから、とかそんなことで大切な自分の岐路を決定することが私達にはある。自分の身体にしてもそうだ。人任せにして、おかしいと感じても従って、結果大切な健康を守れなくても後悔しないと言えるだろうか。心の声に耳を澄ませ、胸のざわつきを素直に感じて、選択をしよう。 身体で言えば“奇跡”はよく起こる。船に残された人たちの上にも奇跡が起こることを今は祈りたい。

2014.4.9

 春の暖かさによってでなく、桜は冬の寒さによって目覚めるのだそうだ。そのせいか大雪を経た今年の桜は例年に増して見応えがあった気がする。夏の青葉も秋の紅葉もいいが、春になってまた初めてのような新鮮さで桜に出逢う。この一年を労ってくれているような桜の下で、今はもう会えない大切な人々の、胸に仕舞った思い出に寄り添う。 新しい出会いも桜の下で。不安と緊張のスタートを見守って、幸あれと無言で包んでくれているようだ。 そんな桜も花の見ごろを過ぎて葉をつけた。娘盛りから母親になるように、花びらを落とし、次代を育む。 …来年はどんな気持ちで逢うのだろう。一日一日泣いたり笑ったりして君に近づく。待ってろよ桜!

3月3日

 雪国のようだった東京の2月が過ぎて、もう雛祭り。雛祭りは元々中国で、邪気の入りやすい季節の変わり目の禊の儀式だったそうだ。日本ではヒト形をした紙などを身体につけて邪気を移し川などに流したところから人形を飾る今の雛祭りの風習に変わってきたらしい。 邪気が入りやすいとは、それだけ体調を崩しやすい季節ということなのだろう。風邪をひいたり、花粉症に悩まされたりではせっかくの春もなかなか楽しめない。 官足法で花粉症を改善した方は、しかし大勢いて、努力がわかりやすく成果になるので、悩んでおられる方にはぜひお試しいただきたいと思う。今年こそ花粉症にサヨナラするために。

2月19日

 各地で大雪の被害に耐える中、ソチでは選手が4年に一度の重圧に耐えて試合に臨んでいる。 フィギュアの羽生結弦など若い選手の活躍には目を瞠るが、大きな期待を背負いながら4位に終わった高梨沙羅選手の試合後の表情も心に残る。小さな身体に無念の結果を引き受けて涙を呑み込んでいた。強さも弱さも知って人は大きくなるのだろう。願わくば次は「感謝を表すため」などと言わず、自分の喜びのために飛んでほしい。あなたの喜びこそが多くの人を元気づける筈だ。未来へ!もう始まっている4年後への道、何があっても全ては喜びの為にあると思いたい。

1月30日

 昨日までさほど寒くもなく晴天が続きました。そんな中、先週末は東京・目黒にて官足法新年会が開かれ、体験や活動報告、実技などの勉強会、医師・松本光正先生の講演、イタリアンの懇親会と、会場いっぱいの参加者で大いに盛り上がりました。 官有謀先生の奥様もアメリカから駆け付け、元気な姿を見せてくれました。また新しい指導員の意欲的な活動も光ります。秋田県の指導員Iさんは「15分で健康貯金できますよ。」とウォークマット兇鯑Г鵑任發蕕い覆ら手作りの官足法紙芝居を上演するそうです。終わった頃には足が軽くなり暖かくなって気持ちがいい、何故痛いのかも納得!と言う訳です。長野県の指導員Yさんはクリニックで医師の処方によって官足法を行っていますが、認知症で何を食べたか言えなかった人がある日突然食事のメニューを全部言えたことを発表してくれました。 全国各地で一人一人の指導員の周りに笑顔の花が咲いている。その輪が確かな足取りでどこまでも広がっていきますように!

2014.1.14

成人式を迎えたみなさん、おめでとうございます。皆さんの夢や希望が叶いますように、お祈り申し上げます。 さて、昨秋の官足法指導員養成講座に参加された岡山県のK嬢が素敵な詩を紹介してくれました。 
 Work like you don’t need the money.
  Love like you’ve never been hurt.
 Dance like no-one’s watching.
 Sing like no-one’s listening. Live like it’s heaven on Earth.
お金など要らないかのように働きましょう。傷つけられたことなど無いかのように愛しましょう。誰も見ていないかのように踊りましょう。誰も聴いていないかのように歌いましょう。地上の天国であるかのように、生きましょう。 しっかりと前を向き、笑顔で自分の人生を生きてゆきたいものです。

1月6日

 今日はこれからの幸せの始まりの日。 あらためて、明けましておめでとうございます。雪の中でお正月を過ごされ今朝は雪かきで汗をかいた、という方がいるかと思えば、上着が無くても出かけられるという南国の方もいらっしゃる。日本は広いですね。 東京はと言えば快晴の西の彼方に富士山が白くくっきりと浮かび上っています。 元旦も快晴で、初日の出を高尾山から拝みました。ホタホタの真っ赤な頬っぺのような太陽が、上がり切って丸い姿を金色に変えるまで。帰路は朝もやに煙る山々と街並を見下ろして新春の気を胸深く収めました。 今はこれからの幸せの創造の時。感謝に代えて、皆様と共にそんな気持ちで歩みたいと思います。本年もどうぞよろしくお引き立て下さいますよう、お願い申し上げます。

2014年1月1日

 明けましておめでとうございます。
旧年中は官足法をご支持いただき、誠に有難うございました。皆様の励ましと支えによって「一人一人が自分の健康を自分で守れるように」という官有謀先生のスピリットが、四半世紀を超えてようやく人々の中に受け入れられるようになってきたことを実感しています。
 そして、官足法に興味を持って下さった方々がよくわからないまま途中で諦めてしまうことの無いように、官足法の正しい理論や効果的なやり方をお伝えしていく必要を強く感じています。
 百聞は一見に如かず。官足法は間口が広く、どなたでも、また真似事でもそれなりの効果がありますが、それ以上に奥も深く、効果的なやり方を覚えれば、どれほどの財産にしていただけることか…。
今年も官事務所は全国の官足法指導員をサポートし、皆様の健康のお手伝いをさせていただくとともに、「体験施術」や「もみもみ倶楽部」、それに各地での講習会で皆様とお会いできることを楽しみにしています。ぜひこの奥深さ、ご自分で体調が改善できる喜びを実感して下さい。


12月20日

今年もあと少しで過ぎてゆく。今年中にしなければならない仕事やら忘年会やらに追われているうちに…。
異常が枕詞になってしまった気候、荒れ狂う自然、遅々とした被災地の復興、放射能、庶民にはあまり実感のない「経済の回復」、、。そんな寄る辺ない世の中だからか、人間の本能に根差した大事な事、食の大切さが見直されている。一回毎の食事を大切に作って、美味しく食べる。家族がいて、会話があれば、なおいい。家族の健康を願う思いは、いつか届くだろう。
 一人が寝るのに、たたみ一畳、一度の食事も腹七分目が理想なら、幸せも欲張らなくてよさそうだ。赤ちゃんは生まれて来ただけで嬉しいのに「這えば立て、立てば歩めの親心」が高じて子供の重荷になることもある。成長すればやらねばならないことも多くなり、歳を重ねて気が付けばまるでサンタさんのように背中にどっさり重荷を背負い、、。
 けれど、本当に大切な人、大切なもの、大切な事って、そんなに多くはなさそうだ。年末、大掃除のついでに問い直してみるのもいいかもしれない。

11月26日

 11月は八戸での講習会があり、東京では第33回官足法指導員養成講座も開かれた。
八戸は官足法と縁の深い土地で、多くの指導員がいる。懐かしい面々と旧交を温められたことも良かったが、雨の中、講習会に来てくれた人々との新たな出会いも嬉しい。車いすで参加してくれた方、幼児の時からやっているという小学1年生、みなさん今日も自分でやってくれているだろうか。
 指導員養成講座はいつもながら本当に楽しい不思議な三日間になる。今回は特にそうだ。年齢も職業もまちまちな初対面の人たちが一緒に机を並べ、痛みをわかり合い、身体への理解を深め、足をもむことで自分の身体が変わってゆくことを実感する。他人と関り自分に向き合う、一種無心の時間になるのかもしれない。
(指導員養成講座を第31回とお知らせしましたが、原稿の誤りで、第33回でした。お詫びして訂正させていただきます。)


10月18日

 いくつかの台風が過ぎ、どうやら秋らしい気候になった。被害に遭われた方々はこの秋晴れをどんな思いで眺められるのだろう。一日も早く平穏な日常を取り戻してほしいと願うばかりだ。
 さて、講習会を幾度かやってきて、たくさんの嬉しい報告をいただいた。参加直後の感想としてこのページでご報告したものもあるが、帰ってからの声も嬉しい。ウォークマット兇叛嵋澄▲哀螢哀衙澄覆弔泙蟯餌法三種の神器!)を使って毎日1時間ほど取り組んだという声楽家の方は3日目にしてマットの痛さが和らぎ、ふくらはぎの筋の硬さが取れ、同時に歌声に迫力が増したそうだ。カラオケが趣味という方にも是非!
 これからが官足法を始めるのにいい季節だ。足をもんで身体を内側から温め、冷えを予防しよう。“冷え取り”で暖かいブーツを探している方にはヤコフォームのブーツがお勧めだ。足をもみ、暖かくして冬を乗り切り、花粉症の季節を迎え撃つという計画は如何だろう。


7月20日

 暑い日が続いて参りつつもがんばっているのは人間だけではないようで、我が家のベランダでは栄養不足のヘチマがうどん粉病になり、それでも残った葉で緑のカーテンを作ってくれている。次々と実をつけて楽しませてくれたプチトマトの葉は見る影もなく枯れ果てたが、骨ばった茎から健気に小さくも瑞々しい実を結ぼうとしている。
 人も動物も植物も、不老不死でない限りはいつか朽ちていかねばならない。「病気とは生命の属性」と言った人がいる。卓見である。できればお迎えが来るその日まで自分のことが自分でできればいいとは思うが、身体のことでも心の面でも、病気になってはじめてわかることは多い。時に自分が病に抗えず弱くなることも貴重な経験なのだろうと思う。
 私達にできることはただ、「幾つになっても生きているかぎり血液をきれいにし、血流を良くし、それによって自分で自分の身体を元気にしていける力を私たちは全員与えられているのだ」ということをお伝えすることだけ。「ラクではないかもしれないが、副作用はなく、自分の力に気づきはじめると楽しいものですよ、実感していただけましたか?」と。
 6月29日の神戸での官足法講習会及び官足法指導員のための集中セミナーは神戸市郊外という遠さにも拘らず愛知から四国、山口まで約40名の参加を得た。「自分でやっているのとは全然効果が違う、来てよかった」「喉の痛みが治った」「どんなに揉んでもできなかった正座ができるようになった」「五年間悩まされたお尻の痛みが無くなった」など、短時間ながら効果実感の声が何よりの土産となった。今後の予定としては8月24日に沖縄・那覇で、10月5日には福岡での講習会が決まっている。多くの出会いを楽しみにしている。



6月28日

去年の今頃はスカイツリーが話題の中心だった。今は富士山だ。日本人は高いのが好きなのか、とも思うが富士山は別格だ。あちこちにご当地富士があるように、みんな富士山が大好きなのだ。
 その富士山が世界遺産登録であらためて注目を浴びている。多くの人が訪れて賑わうのはいいが、自然を守れるのだろうか。ゴミの問題は深刻だ。いくら富士吉田市の人々がゴミ拾いをしても限界があるだろう。その予算もばかにならない。入山料でゴミ袋を配布し、下山した時にゴミを買い取るというのはどうだろう。多ければ高く、少なければ安く買い取る、但し入山時にゴミの持ち込みが無いように監視しないといけない。そんなことを夢想している。
 富士山フィーバーで富士山麓の木材がいいと注目されているそうだ。富士山麓の水もますます売れるのかも…。そんなことが続いたら富士山の自然環境はどうなってしまうのだろう。富士山はそんな人間の営みを知ってか知らずか、今日もそこに美しく在るのだけれど…。


5月17日

 春の指導員養成講座が終わった。今回も個性豊かなメンバーが集まって最後まで和気藹々と、ハードな山を一つ一つを乗り越えて帰って行かれた。ニュージーランド在住の方が参加されもした。官足法が海を越え、人種を越えてお役に立つなら官有謀先生もさぞ草葉の陰で喜ばれることだろう。「誠に国境なし。それが地球人として追求すべき崇高なる目標である。」と官先生は言われた。戦時中に日本人の軍医の情に助けられ、その恩返し、と台湾での成功を棒に振って日本に来、何も無いところからこの方法を広めたこの人ならではの言葉だ。病気になったら病院や薬に頼るのが世間一般の常識だが、その前に自分の健康を自分で守ることが誰にでもできるのだと、長年の研究でわかったことをわかりやすく、誰でもできるように伝えたのが先生の最大の功績だろう。その為にとにかく力強く万遍なく針の隙間もないように脚全体をもむことを強調した。その結果、本「足の汚れが万病の原因だった」(文化創作出版刊)を読んでそのとおりやっただけでも多くの人が結果を出し、口コミで本は売れ続け180万部に達している。理論や技術もさりながら官先生の想いを大事にしてくれることを願っている。

3月5日

 花粉症の季節がまた巡ってきた。今は他人事と思っている人も、ある日突然鼻水が出て目が痒い、なんてことに何時なるとも限らない。寝不足や身体を冷やすことは避けた方がいいようだ。なってしまった人は身体が敏感になっているので尚更である。コーヒーや甘いものを控えることもおススメだ。私の経験から言えば花粉症になっている間は身体が芯から冷えている感じがする。自分で足をもんで治ったが、今でも用心はしている。それにしても朝足をもむと身体が足先からあたたかくなり、いつのまにか目の痒みが無くなり、鼻水が止まっている。その状態が一日続く。毎朝やればこの季節を平然とやり過ごせるし、体質が変わっていく。花粉症改善に足もみほど劇的なものは無いと思う。ぜひ、お試しあれ。


2013年1月16日

 日曜日、関東に久しぶりの大雪が降った。成人式や仕事などで出かけた人は大変だっただろう。朝からの雨が大きな牡丹雪に変わり、しんしんと降り積もる様はまるで雪国のいつ止むとも知れない灰色の空が引っ越してきたようだった。 一つ年を越してまだ間もないからでもあるのか、静かにしかし確かな足取りで降り積もってゆく雪を見ていると、人生は短い、とそんな感慨に打たれる。若い時は自分のことで悩み、大人になれば生活や仕事で悩む。間違いもし、恥もかき、多くの人と出会い、助けられてきた。 今の時代を若者として生きる人たちに、これまで生きた無数のかつての若者は言うだろう。「大したことはない、そう悩むことはない」と。少し悩んだら前を向いて生きてみよう。そうするうちに成長し、そんな悩みは忘れてしまうかもしれない。悩みを自分以外の何かのせいにすることなく、自分を責めることもなく、その時を僥倖として生きる時間を豊かに積み上げたい。それを今になって思っている。いつかこの雪のように儚く終わる定めだからこそ。

2013年1月1日

新年明けましておめでとうございます。昨年は多くの出会いと励ましをいただいた一年でした。官足法指導員の皆様を始め、官足法を実践して下さる多くの方々に支えられてまた新しい年を恙なく迎えられたことを、心より感謝申し上げます。 今年はどんな年になるのでしょう。政権が交代し、この国はどのように変わっていくのでしょうか。ヨーロッパやアフリカ、中東やアジアの情勢も不安定です。先の見えないこの時代をどう生きていったらいいのでしょう。 年末のテレビで釜石の小学生の言葉が印象的でした。そうです。あの3.11で「釜石の奇跡」と語り継がれる、津波から大人たちの命も救った子供達です。「あれは釜石の子供たちが実際にやったことだから、奇跡というより実績だと思います。」と言うのです。その瞳に何があっても揺るがない自信を見ました。彼らに防災行動を教えた群馬大学の片田教授によると、大人は危機に瀕しても、これまでに無かったとか、そんなわけないとか何かと理由をつけて逃げたがらないものだそうです。また事が起きた後で、警報が遅かったとか、誰かのせいにしがちだ、と。耳の痛い話です。彼らはそれぞれ自分で判断して行動した結果、自分達だけでなく、多くの人の命を救った。このことはこの時代に生きる私達一人一人に大切なことを教えてくれているような気がします。多くの情報が溢れる中で自分の判断で情報を選び取り行動し、その行動に責任を持つ、つまり主体的に生きることこそが、自らを助け、受け容れ、人を助けることに繋がるのではないか、と。

2012年11月15日

 最近「世界一痛い足もみ」など、官足法の痛くて効く足もみが広く認知されはじめている。地域のイベントなどでも官足法で出店すると興味津々でテントの前に立ち止まる人が多く概ね盛況だが、「痛そう」と逡巡する人もまた多い。 そんな人たちの背中を押してくれる記事が、「壮快」12月号に出ている。大阪府三島郡の上田医院医師であり、牧師でもある上田昌司先生がガンの研究・治療に取り組んだ結果、官足法に出会い、これを医学的に研究・実践してきたという記事である。先生は「足の裏もみ」「足の裏の一点押し」と仰っているが、最初に足全体をもむと書かれている。念のため。「足の裏もみで治らない病気はないといってもよいほどです。しかも痛ければ痛いほど効果があるのです。」と言われる医学的根拠は主に三つ。 強い刺激によって「痛み物質」が出るが、その中でもサブスタンスPは血流を改善し、免疫力を増強、β-アミロイドを分解して認知症の予防、改善に役立つ。また、嚥下反射を正常にし、誤嚥性肺炎を予防する 強くもんで赤くなるとこれを一種の炎症として白血球が活性化し、インターロイキンやTNF-α(ガン壊死因子)などにより免疫力が向上する。 痛みという一種のストレスでコルチゾール(副腎皮質ホルモン)が分泌される。これは免疫疾患やアレルギー性疾患に作用するので喘息やアトピー性皮膚炎、花粉症などの改善が期待できる。プラシーボ効果を利用し、「こんなに痛いのだから絶対に効く!」と思いながら行うのがよい、とは同感である。疑いながら強くもむことは出来ないし、「絶対に良くなる」という意志が前向きに身体を導いてくれるのだ。

2012年11月10日

 短い秋が深まって、冬の足音もすぐそこだ。 先日、第31回指導員養成講座が終わった。定員の倍近い申込みがあり、お断りもしたが、いつもより多い人数での開催となった。 足もみは不思議だ。痛いの痒いのと言っているうちに二日目ともなるとみんなもう個性満開。素の自分で大いにのびのびと他人の足をもみ、自分ももまれている。 勉強だって大変だ。「こんなの覚えられない。」という受講生がいれば「せっかく来たのに残念だったね(笑:最終日にはテストがある)」というのも同じ受講生。年齢や経歴の垣根を越えて遠慮のない会話が飛び交う。 3日あれば、体調も変わる。排尿、排便が変わる。女性は血色が良くなり綺麗になって帰る人もいる。養成講座は初めの一歩だけれど、これからの精進が楽しみだ。

10月20日

暑かった長い日々が過ぎ、ようやく秋らしくなった。昨日は富士山が初冠雪。青い空にそびえる白い富士はやはり美しかった。時を得て変化は訪れる。季節が移り変わってゆくように、人も変わる。その思いのあるところに従って変わってゆくらしい。この官足法にもチャレンジし、変貌を遂げる多くの仲間がいる。つい最近まで会社員や主婦だった人たちが、様々な場所で様々な方々と出会い、頼りにされ、講師として活躍したりもする。そういう姿を見せていただくことは無上の喜びだ。今年ももうすぐ秋の官足法指導員養成講座が開催される。定員を大幅に超え、止むを得ずお断りした方々にはどうか来年春の養成講座にぜひチャレンジしていただければ、と思う。縁あって養成講座に来られる方々が、それぞれの時を得て大きく羽ばたかれることを願っている。

9月30日

 連続ドラマ「梅ちゃん先生」の最終回で聴いた「上を向いて歩こう」の大合唱。ちょっとドジだけれどいつも一生懸命相手のことを考えるヒロイン梅子の成長物語の最後は、“今まで私たちはいろんなことを乗り越えて来た。これからもいろんなことがあるだろうけど、みんなで助け合って、きっと乗り越えて行ける。”そんな日本人みんなに向けたメッセージにも聴こえた。 ヒロインの三兄妹、松子、竹夫、梅子は中国の文人画で好まれる題材、歳寒三友から採った名だというが、冬の季節を如何に過ごすかというのは命あるものの普遍的なテーマなのだろう。日本の近代でも柳宗悦の書に「かをるや梅が香 雪をえにし(縁)に」と書いたものがある。冬の寒さが厳しいほど梅は香り高く咲く、という意味だ。 新聞やテレビのニュースに溜息をつくことが多い昨今、せめて個人的には冬の時代に根を張って周りの人たちと手を携えて春を待ちたいと思う。

2012年9月19日 

 今年も彼岸花の咲き誇る季節になった。故郷では彼岸花は不吉な花だった。家に持って帰ると火事になると言われ、手折る者は誰もいなかった。伴侶が「仏壇に飾っていたよ」と言うのを聞いたのは最近のことだ。普段顔を突き合わせて暮らしているのに事この花については全く常識が食い違っていたわけだ。 そんな食い違いがもし国同士で起こり互いに相手を理解しようとしないまま怒りを募らせるとしたら、悲しいことだ。隣人がどうしても嫌なら引っ越しすることもあろうが、国はそうはいかない。相手を非難するのは簡単だが、それだけでは前に進めない。こじれきった観のある今の状況の打開策はあるのだろうか。 もし目の前に困っている人がいたら多くの人は自分のできる範囲でかもしれないけれど、その人を助けようとするだろう。見ず知らずの日本人のために命を投げ出して救おうとしてくれた韓国人の若者がいたことを私は今もよく思い出す。それに、日本が支払う筈だった終戦の賠償金をチャラにしてくれた中国の周恩来のことも。私たちの多くはそのことを知らず、中国の人たちは戦後長年に亘って日本が償いと恩返しの意味を込めて送ってきた莫大なODAのことを知らされていない。  戦後人々の大変な努力でようやく国交が回復した中国との40年の節目の年にあらためて思う。国も人も今という現在の選択で未来を創るのだ。好き嫌いや正しさではなく、未来にどういう時を持ちたいか、そこから離れてはいけないのだという気がする。

2012年9月9日

 9月になったが、じっとしていても汗が噴き出すような暑さは相変わらずで、年々厳しさが増してくるような気がする。人間の横暴に耐えかねた自然の悲鳴なのだろうか。我が家のグリーンカーテン、になる筈だった苦瓜もベランダの熱で早々と枯れてしまった。土のせいもあるのだろう。庭や畑に直植えの作物はこんな暑さでも逞しく育つ。大地の力は自然の恵みだ。 人間も自然の一部、自然の力が備わっているから、具合が悪くても生きている間は自己治癒力を発揮してなんとか元気になろうとする。身体の声を聴いて食べ物を食べ、休息し、労働し、人を思いやる言葉を話し、自然にも優しい、こんなことができたらたとえいっとき病を得ても元気で長生きできそうである。そんなことができたら苦労はしないという現代人には足もみもある。まだまだ捨てたものではない。

6月7日

 沖縄、南九州が梅雨入りし、この辺りも間近、とはいえ最近は突然の嵐に慣れっこになっていて傘を持ち歩くのも既に習慣。今更梅雨などなんでもない、と思ってしまうのだから慣れというのは凄い。

 嵐はお天道様のなさることだが、習慣は自分で作る力だ。5月末の官足法指導員養成講座にはすでに自分で足をもむことが習慣となり、これからは人の為に役立てたいと望む指導員の卵たちが集まった。自分でやっているとは言え、来てみたら目からウロコの連続だ。3日間どっぷり足もみに浸かって、見たこともない尿の変化に驚いたり、耳の激痛と腫れで食べ物を噛めなかった人が元気になったりして、本人も周りも身体の持つ力に驚き、それを引き出す足もみの力を目の当たりにする。指導員養成講座では天の計らいか偶然か毎回こういうことがあるから止められない。

 しかし自分を含め殆どの人間は忘れるようにできているし一度に多くを理解できるものでもない。身にしていくには忘れないうちに習慣にして繰り返しおさらいし、機会ある毎に勉強することが大切だ。もうこれでいいと思った時に成長は止まってしまうのだから。人に喜ばれる喜びを友とし、楽しみながら学び続ける姿勢があれば官足法は指導員養成講座に参加された一人一人の人生の大きな助けとなれることと思う。



510

 風の心地良い季節になった、と喜んでいたら、一転空が掻き曇り、竜巻だという。連休最後の日、我が家でも窓が割れんばかりの雨と雹だったから、災害はけして他人事ではないことを実感した。被害に遭われた皆様には一日も早い復興をお祈り申し上げる。

 天災ばかりではない。人災でも身近な事故が起こった。群馬県の関越自動車道で起こった高速バスの事故は、誰が巻き込まれてもおかしくない、起こるべくして起こった事故だった。一瞬の悪夢は被害者とその家族や関係者にとって日々の重い現実となってしまった。加害者にとっても。もう夜行バスを一人で運転させるような会社は出てこないことを祈るばかりだ。

 空はそんなことを知ってか知らずか、夜は月を明るく輝かせ、昼は何事も無かったかのように明るい陽射しを送ってくれたりする。この厳しくも優しい地球の上でたくさんの一つしかない生命が共に今日を生きている。



3月2日

 3月に入りました。まだまだ冷え込む日もありますが、陽射しに明るさと暖かさを感じるようになり、春は確実に近づいて来ているようです。そしてあの3月11日もやがてやって来ます。もう1年かという思いもあれば、まだ1年という思いもあります。被災地では復興に向けて歩み出しているようですが、まだまだ障害も多くお世辞にもスムーズとは言えません。がれきの処理一つとっても支援の輪が広がらず難渋しているのが実情です。原因は放射能に汚染されているかも知れないがれきは受け入れられないという、被災地以外の住民の声が強い事のようです。しかし東京都は各種の測定をした結果、問題ないとして受け入れました。危険なものを持ち込むのなら反対するのもわかりますが、そうではないとはっきりしているものは全国の自治体で積極的に受け入れるべきではないでしょうか。復興を加速させるために今こそ「絆」や「支え合い」の精神を思い出してほしいものです。(幹)